性被害者が性加害者になることだってあるかもしれない
マンガ『クリオネの告白』は、難しいテーマに挑んだ意欲作です。
主人公のクリオネは女子中学生。第二次性徴でふくらんできた胸や尻を実の父から触られたりからかわれたりすることを嫌がっています。
さて、昭和の親父のこのようなセクハラをどう考えるべきでしょうか。
令和の基準で考えれば許されるべきではない。
しかし時代は昭和。そしてレイプなどの性加害まではいかないセクハラ。それも実の親子という親しい間柄での家庭内での犯行です。
流行語大賞にもなった「ふてほど」(不適切にもほどがある)の主人公は、同じようなことをしても視聴者からの共感を集めていなかったでしょうか。
しかし『クリオネの告白』は「ふてほど」とは違います。
クリオネが明らかに嫌がっているからです。
家庭は職場のように公共の場ではありませんが、無礼講が許されるのはお互いの共通理解があってこそ。
親子のように非対称の権力関係があるなかで、嫌とは言えないセクハラは無邪気に繰り返される蛮行です。
これだけなら『クリオネの告白』は、よくある社会課題をテーマにした現代的な物語だったでしょう。
『クリオネの告白』を画期的にしているのは、主人公のクリオネ自身が性欲に目覚め始めていて、女友達を性の対象としてオナニーのおかずにして、それに罪悪感を覚える描写があることです。
自分自身が性の加害者であるかもしれないのに、性の被害者であることを声高に主張できるでしょうか。
かくしてクリオネは、中学生らしくずっとモヤモヤと悩んでいます。
法律論的に言えば、実際に父親からクリオネに対して投げかけられるセクハラ的な言葉と、クリオネが女友達を想像の中で犯すこととはまったく違います。
しかし、性に目覚め始めたばかりのクリオネは罪悪感がつのるばかり。
また、自分の気持ちを抑えきれず、女友達への言動も空回り気味です。
一般的に、女性は性被害者として描かれがちですが、無邪気に性加害者になることもあると示唆するストーリーは秀逸です。
ノンケに恋をしたレズビアンの物語として読めば、現代的なテイストを持つ、中学生同士のすれ違い恋愛ドラマとして読むこともできるかもしれません。
しかしLGBTの方なら想像がつくように、ノンケへの恋愛感情が報われることはまれです。
まだ中学生の二人の物語がハッピーエバーアフターで終わることはちょっと考えがたいです。
まだ完結していないので先のことはわからないのですが、登場人物たちがみんなそれぞれの幸せを見つけるエンディングを迎えますように。
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