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「癌」ってジツは怖くなかったという話Part5

クリエイターBooの癌体験記的な感じで書き始めたnoteですが、気が付けばpart5。過去にあった出来事を色々と思い返しながら書いているんですけど、書きながら当時の事を思い返しているんですが、あの辛さを思い出すだけで時々具合が悪くなってくるみたいなこともあって、思っていたよりトラウマになってるんだなと実感しています笑。

というわけで前回の記事からの続きです。

まだ読まれてない方はぜひ一読していただけると嬉しいです。




以前もご紹介させていただいたこちらの本。

以前も言った通り、僕とPeeちゃんの癌に対する考えを変えてくれるきっかけになってくれた一冊です。


癌=難しい病気。


今となってはですけど知らず知らずのうちにそういう風に頭に刷り込まれていたんだろなと思うんです。例えば病気をテーマにしたTVドラマでヒロインが癌で亡くなるシーンだったり、番組の癌闘病ドキュメンタリーだったり、日常で身近な方が癌で亡くなった話を聞いたり…そういう感じで長年見聞きしてきた情報で癌という病気に対するイメージが出来上がっているわけで、なので僕は自然に


「癌になったら化学療法をやるもんだ」


と思っていて、実際に自分が癌になって真っ先に思い浮かんだ治療方法も抗がん剤でした。そして同時にそれ以外に選択肢はないんだと思っていました。苦しい治療を継続しても根治するかどうかはわからない、というのもある意味では定番化しているというか、なんて矛盾した治療方法なんだと思いつつも結局長年蓄積した"癌は命を奪う恐ろしい病気"というイメージが先行し、結局人は薬に頼る事を余儀なくされ「この苦しみに耐えればあるいは」と一縷の望みを病院側に全て委ねてしまう事になる。

最初の癌を宣告された時、僕もそういう感覚を持っていました。



それが一冊の本と出会って、後に全てが変わる事になるわけですが、当然ながら最初から素直に「筆者さんの言う通りにしてみよう」となったわけではありません。癌になってみて思ったことの一つに自分が強く持ってるイメージを変えるにはそこそこの時間と労力が必要ってこと。僕の場合、告知されてから癌について徹底的に調べたんですが、そもそもこれも間違いだったなと今は思うんですね。僕みたいなアホが幾ら癌の事を学んだところで全てを理解できるわけもなく、それよりも小難しい言葉や印象に残ったフレーズだけを覚えてしまって余計に怖さが増してくる結果になったわけです。
いきがって横文字を使いたがるだけのあの感じにそっくりです笑


そしてPeeちゃん曰く、僕ってなかなか頑固な一面があるらしく(本人あまり自覚なかったのですが)一度決めるとなかなか自分の考えを変えない、つまりBooは柔軟性がないというのがPeeちゃんから見る僕の性格らしい。逆にPeeちゃんはいつも切り替えが早く、嫌なことはすぐ忘れてしまうタイプでダメなら別のことにすぐ鞍替えできる面を持っていて、僕はそんなPeeちゃんを見て「もっと精査してやったほうが…」とか「もっと継続しないとわからないよ」と感じていました。


でも病気治療においてはPeeちゃんの考え方はとても重要でした。
そもそも病院で治療する事に普通は疑問を持たない人のほうが多いと思うんですけど、根本から疑いを持つっていう発想は慣れていないとなかなかできるもんではありませんから。


「いいから黙ってやんなさい!」


って何度Peeちゃんに言われたことか笑
いつも若干強引に言ってくる彼女の言葉に押し負けるように取り組んでいくわけなんですけど、まーどうせ長くは持たないし少しでも延命になるのならやってみるか、と言う感じで新しい取り組みがスタートしていきます。




難しい「癌」をシンプルに捉える。



今、僕は自分なりに蓄積した知識を踏まえた上で
癌についてこう考えています。

全ての癌について同じ事が言えるわけではないのですが、少なくとも一般的な内臓系の癌に関しては同じ事が言えるんじゃないかなと。

癌細胞は元々人間の中にある必要な細胞であるというのは皆さんもご存知だと思うのですが「なんで癌細胞がヒトの身体に必要なの?」っていうところまでは理解していませんでした。その後通う事になるある施設の有識者Yさんのお話を聞いたままいうとがん細胞は


人が人生を終えるときに穏やかな最期を迎えるために必要


らしいんです。
以前、愛犬Teeがこの世を去った時にもお話したと思うんですけど、寿命を全うする時って苦しまず、枯れるように、穏やかに息を引き取っていくのですがこの時に役立ってくれるのが癌細胞で、体の代謝が下がり、基礎体温が低下していくと癌細胞が"穏やかな死への準備"を始めるそうです。
弱っていく過程で痛みを伴わないよう体の神経を蝕み、痛覚を無くすことが癌細胞が存在する理由なんだそう。この知識は当時の僕にとって衝撃でした。

確かに…そう言われてみると思い当たる節が沢山ある。
(これからお話することはちょっと生々しい感じのお話になってしまいますし、ご経験のある方に対しては嫌な事を思い出させてしまう不愉快な表現になるかもしれませんが何卒ご了承いただけると幸いです。)


50年以上も生きていると人の生死に関わる節目の場面に立ち会う経験も増えていきます。大切な方の門出とお別れの場面。喜びと悲しみを多く経験していく中で僕自身、大切な方を見送っていた時に思うことがありました。化学療法を経験され癌で亡くなった方のお顔を拝見すると、真っ黒な肌に一本の毛も無く、穏やかというにはとても程遠い苦しそうな表情でした。この時の僕には想像もできないほど壮絶な闘病生活だったのだなと伝わってくるほど。ご遺族の方に最期の様子を聞かせていただくと「最後まで苦しみましたがよく頑張ったと思います」と。癌ってやっぱり苦しむんだ、辛いんだ、治らないんだという自分の中のイメージが最も強まる瞬間でもありました。

だから癌細胞が存在する理由の話を聞いた時に、妙に腑に落ちたのをはっきりと覚えています。


癌細胞が寿命でもない人間の体に広がってしまう理由。
それはただ癌細胞が勘違いをしているから。自分の宿主はもう死に近づいているんだと勘違いしているから、宿主を痛みから救わなければと増殖していくのだとYさんは言います。
乱れた食生活や生活習慣による代謝、基礎体温、免疫の低下が癌細胞を活発化させると情報は最近時折見かけるようになりましたが、文面だけ見ると
癌=悪っていう印象を持ってしまいがち。
しかし本当は癌細胞には悪気はなく、ただ体の機能の一部として動いているだけなのです、と。

これが僕の癌に対する基本的な解釈です。
へ?たったこれだけ?と思われるかもしれませんがたったのこれだけ。
昨年癌でこの世を去ったお酒呑みの友人にもこの事を話し、あらゆるアドバイスをしました。その友人は言葉にはしませんでしたが


「こんな時に冗談はやめてくれよ」


という感じでまともには受け取ってもらえず、でした。
めちゃくちゃ悔しかったです。
恐らくこの記事を見てくださっている大半の方はBooの事をアホかと思う人もいると思いますし、貴方が助かったのは運が良かったからだよと思われる方もいらっしゃると思うのですが…

以前の記事でも書きましたが、癌治療は患者さんの意思が第一です。
化学療法であろうと、独自の治療であろうと患者本人が決めて治療を行なっていくことが最も大切で尊い決断であるという考えは今でも変わりません、これからも。ですが僕はこれだけは言いたい。


癌は治せるしある意味、病気ではない。



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