函館という名前が定着するまで
ハコネタラジオ【ネタ15】UP完了!
前回までは五稜郭についての話だったが、箱館戦争が終了するとすぐに明治に突入。そのあとの函館の話をしている。ただ、箱館戦争だが、歴史としてはあまり重要視されていないが、実はとても重要な分岐点だったらしい。
箱館戦争はそこまで歴史上重要視していないという向きもあるそうだが、それは間違いで、『700年の封建時代終焉を告げるものである。戦史としても大規模な近 代戦の先駆けであり、特に軍艦による大海戦は日本最初のものであった。のちに軍 神と言われた東郷平八郎も三等士官で参戦している。この戦の鎮定により初めて全 国は定まり新政が諸についた』という記述がある。
と、須藤隆仙さんの本に書かれていた。確かに授業で箱館戦争を詳しく学んだ覚えもない。自分は徳島県出身だからとも思えるが、歴史的に重要であればしっかり学ばされるとは思うが、やはり重要視されていなかったということか。それか近現代史を学校はあんまりやらんからな〜。
箱館戦争のように戦艦から大砲を撃ち込むような戦争は今までしていなかったような気がする。平地での合戦で鉄砲がどうのこうの言っていた戦国時代から江戸時代に入り、徳川家康の手腕で一気に平和な世界を260年以上続けたことにより、大きな戦争が起きなかったから当然といえば当然かもしれない。
それが、幕末になり一気に戦乱の世になったということか。これも外国から色々なものが、特に軍需品が持ち込まれたことの結果なのかもしれない。日本は鎖国しており、独自の日本を作っていたのだろう。平和な世の中だと文化が繁栄するらしい。徳島で有名な人形浄瑠璃や浮世絵もこういった平和な時代に生まれている。ギリシャで哲学が流行ったのも自ら働かなくても食べていける、暇な時間があったからだという。しかし、栄華を極めると衰退が訪れるのは世の常というパターン化されたものだという。フランスも栄華を極めて衰退している。
そんな江戸時代スタートと同時期にヨーロッパでは東インド会社設立させ、株式会社の前身が始まった。どんどんと世界に目を向け始めた欧州とは別に日本は完全に外界と閉ざす時代となっていった。フランスも18世紀後半に文化が反映し栄華を極めたが、不満も爆発してフランス革命が起こり、ついに人権を世界で初めて獲得していく。その前後にアメリカ独立戦争、イギリス産業革命と日本でいう幕末に入っていく時代に変革期を迎え、競争社会である資本主義に一気に突入していく。その流れで新たな開拓先として日本に白羽の矢が立ったということかもしれない。当然鎖国して文化繁栄の平和ボケ状態だと太刀打ちできないということだろう。
「黒船めっちゃこわい〜」
て、そりゃなるわな。ここに小舟で乗せてくれと乗り込んだ吉田松陰はやはりぶっ飛んでるな。なにはともあれ封建時代の終焉を迎えることになり、今の自分達の暮らす生活の元になったということだろう。
封建時代というのは、君主が土地を諸侯に分け与えて、それぞれにその領地を治めさせること
らしい。今でいう知事のように独立したものではなく、幕府から派遣された大名がその地をいいように治めちゃうっていうことが終了し、世界から遅れながらも人権を獲得していった。その明治に入り、松浦武四郎らによって北海道と命名され、箱館も函館と漢字を変えていった。なぜ漢字を変えたのかは記述もなく、調べられなかったのだが、箱館の由来としては、元々武将のお屋敷を『館』と表現していたという。(北海道限定かな?)道南近郊にも館がいくつもあった。その中で宇須岸と呼ばれていた函館山の麓にあったのが、河野政通氏の館。この館が方形に見えるということから箱館と呼ばれることになったらしい。ここにその後奉行所も作られることになり、函館の中心となっていったことから全体をそう呼ぶようになったのかもしれない。自分が河野さんやったら、光栄なことやな〜。とりあえず、松前が主か箱館が主かという時代もあったが、箱館が中心で落ち着いた。
結局よくわからんけど、今では毎年魅力度上位の函館という名前が生まれた。もしかするともっと調べていけば辿り着けるのかもしれないけど、まあこんなところでしょうか。
そろそろ雪かな〜。函館もだいぶ寒くなってきた。