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たくさんの「好き」の圧力に負けがち


亀ちんはご自分のファッションに自信をもってらっしゃる


次になんの仕事をしよう、という贅沢な懸案事項を抱えている。ブラックかグレーかというと答えを突き詰めたくないような仕事をしていたのに、退職前の休みでいきなりホワイトアウト。このまま多摩川に流されて海まで行ってしまいたい欲望を抑えつつ、次の仕事を考えている。だからまとまりやしない。っていうか仕事する気あるのか正味なところ。と思いつつ、有休時期に出社しているんだが。

好きなことを仕事にしてちょっとだけがんばる、それが理想だよなと、先日鶴見のペルー料理屋で考えた。しかしそもそも好きなことって何よ、だ。これが難しい。好きなことを仕事にしたつもりだったのに、好きな人に会い、好きな場所に行き、好きなジャンルにはまっても、仕事となると「好き」要素より仕事要素が大きくなる。好きだから興味があるから、情報をたくさんもっているもしくは集められる情熱がある、という意味でアドバンテージはあるが、もともともっていた「好き」の感情は消えていく。私の場合はそうだった。これは推し活なのか仕事上の情報収集なのか。自分の興味を抑えて各所の要望をバランスよく着地させることがビジネスマンさ。仕事が絡まないところでの推し活は晴れ晴れとしたものだったが、深さが足りない気がした。ないものねだりだ。

好きの価値観は、他人の判断を無視してよいものだと思う。家族から「年相応の恰好をして」と懇願されるのだが、年相応ってなんだ、好きな恰好をするのが悪いんか、と突っぱねている。確かに程度の問題もあるとは思うが。あまりに尖っていると迷惑かけるからな、と、昭和の教育を思い出してこっそり反省もしている。安心してください。危害は加えないよう気をつけます。

自分ではない人の価値観を否定することは、民度低すぎだろう。気づいていないかもしれない影響を伝えるくらいにとどめたい。そして、自分にない価値観を目の当たりにすると、少し嬉しくなる。「うひゃ~それあり?!」って思いながら、アドレナリンが出る。頭のなかで反論が膨らむせいかもしれないけど。

いまの会社のあるあたりは、都内でも指折りの海外旅行者訪問地域だ。通勤時に出会うみなさんのファッションが楽しい。体形を隠さない全身ストレッチ素材、超ミニスカ、超カジュアル(というか身だしなみ気にしていない)、半袖とダウンが入り乱れたグループ、キャラクターまみれ、幾何学模様攻め、見たことないヘアスタイル。いいじゃーん、と楽しくなる。モードにしろデコにしろめちゃくちゃこだわっているかと思えば興味ゼロのヒトもいて、ああこのダイバーシティが居心地いいと感じてしまう。統一感も素敵だけど、バラバラなのってなんだかいい。それぞれの「好き」が溢れてる。

好きが溢れた世界で、自分の好きを選ぶ。贅沢であり、自分だけ迷っている追い詰められる焦りもあり。

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