人は自然に何を求めるのか
こんばんは。うちです。
今日の日中は読書だったり作業だったりと、ある程度集中したいことが多かったので、Spotifyで『自然音』をひたすら流していました。
すると、不思議なことにかなり気持ちがよくなりました。
うぐいすの鳴き声がする山の中にたたずむ、民家の縁側で寝っ転がっている感覚。
実際にいたのは東京のマンションの5階の部屋にひいてある布団の上。
しかし、東京の家であってもたしかな心地よさがありました。
(ちなみに山の中の民家は私の大好きな祖父母の家です。)
改めて、その時のことを思い出してみると、共通するのは
①自然音を、立体的に音を出してくれるスピーカーから出していたので、まるで窓の外からうぐいすの声が聞こえるような感覚
②心地よい風の通り
③心地よい気温と湿度
くらいです。
でも同じだけの快適感を得られました。
そうなるとどこまであれば自分は『快適』と感じるのかというものが疑問になります。
今回は五感でいうと、聴覚と触覚だけ。
これだけで幸福感を得られてしまった。
だとしたらVRまでいかなくても十分に『快適』って得られるんじゃないのかなという気持ちになりました。
しかし、考えてみると私には祖父母の家で何度も寝ころんだあの空気感を知っているから、視覚の部分を勝手に自分で補完ができています。
しかし、そういう体験をしたことがない人にとっては、視覚は非常に重要なファクターでしょう。だから、VRは重宝されています。
ただ、もし体験する人が懐かしさを求めているのであれば、あえて視覚の情報はなくしてしまってもいいんじゃないかと思っています。
くつろげるスペースとその人の地元や思い出に残っている場所の音さえあれば
そこに押し付けるような視覚の情報はいらない、と。
拙著「快適を手に入れる」でも、『快適』に対して近づくための有効策として『能動的であること』と述べさせていただきました。
全てを与えられるのではなく、一つの要素は欠落させて、あえて本人に補完してもらう。
その先にはよりその方にあった『快適』があるんじゃないかとそんな風に思った一日でした。
ちなみに視覚と聴覚だけでも人の感じ方は変わります。
昨年度の東京芸術大学の修了展にて、セミの鳴き声を流している作品がありました。そこでは、写真として夏の日の情景が映し出されていたのですが、私が心動いたのは私が廊下に出てからでした。
セミの声が廊下に漏れ聞こえる中、廊下の窓際を見ると太陽光が差し込んでいるのが見えます。つまり視覚と聴覚への情報。
ただ、たしかに私の身体はじっとりとした空気感を感じました。
修了展は2月の初めで、展示を見ている方々はみなさん冬物コートを着ています。
そんな状態でも感じられた、じっとりとした空気感。
人が快適を感じるための要素はもっと少ないのかもしれない。
人って本当に面白いと
とても不思議で、とてもワクワクしました。
もっと『快適』については深堀していきたいと今日改めて思いました。
またステイホームのさなかだったので、家にいながら『快適』がもたらす幸福感を得られたのがとてもうれしかったです。
―今日の初挑戦
好きなカレー屋さんである「魯珈」さんのレシピを見ながら初めてカレーを作りました。
久々のがっつりスパイスカレーで疲労困憊救済メシ!
やっぱり時々摂取していきたいです。
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130404/13203027/
―好きなものとか
ReLIFE
https://www.comico.jp/articleList.nhn?titleNo=2
マンガです。
何度読んでも泣いてしまうし、何度読んでもいいなとおもってしまう。
最初は高校生楽しかったなーくらいしか思ってなかったんですが、
「今を生きろ」と強く背中を押してくれる素敵な作品です。
今日もありがとうございました!
明日もよい一日になりますように!
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電子書籍『快適を手に入れる』
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Twitterリンク
https://twitter.com/uchi3uchi
もしよければのぞいてみてくださいー。
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