初めての海外旅行
高校2年生の秋、授業でみた写真に写るタイの子供たちのキラキラした、透き通った目に惹かれて、その場でタイに行ってみたい!と思ったのが始まりでした。
山岳地帯に住むカレン族の村にホームステイ
高3になる直前の春、ある団体が主催するスタディーツアーに参加してタイの山岳地帯に住むカレン族の村にホームステイをしました。
タイの空港に着いたのは夜で、蒸し暑く、醤油のような、でもちょっとしょっぱい独特な香りがしたのを覚えています。
空港からは車に乗ってひとまず村から3時間ほど離れたところに泊まり、翌日はお昼までカレン族について学び、そこからトラックの荷台に乗って(日本ではやっちゃだめです)村まで向かいました。
村に着くと、村人たちが集まっていて、一列に並んでいた私たち参加者から、泊まらせたい人の手をとって決めるというスタイルでホームステイ先が決まりました。
10世帯ほどの小さな村で、私は娘2人と孫2人がいる7人家族の家にステイすることになりました。(娘婿は出稼ぎで村を出ていて会うことはありませんでしたが)
コミュニケーションツール
村の人たちはパガニョンという現地語を話し、英語は伝わりません。
あいさつはオモチョプ、ありがとうはダブルドマ、といったような感じです。
簡単な単語でならなんとかいける、でも今まで言葉でコミュニケーションができない状況なんて経験したことがなく、どうしたらいいのか分からず不安でした。しかし、言葉が伝わらないからこそ表情やジェスチャーを使って彼らとコミュニケーションを取っていくと、だんだんと打ち解けていき、お互いに笑顔が増えました。
ちょうどその頃周りのみんながスマホを持ち始めて、SNSでのやりとりが多くなり、家にいても受験勉強であまり家族と話さない日々が続いており、対面でのコミュニケーションが少なくなっていた時期でもありました。
そんなときに彼らと過ごし、たとえ話さなくても、言葉が伝わらなくても、人と人との最強のコミュニケーションツールは"笑顔"だということを学びました。
電気も水道もない生活
村には電気も水道もなく、日の出とともに起き、日の入りと同時に床に入るという生活。
また冷蔵庫も洗濯機もテレビもない、東京で生活していた私には想像もつかなかった世界がそこには広がっていました。
子供たちの遊び相手は大自然。木の実をとり、虫を追い、駆け回る。疲れたら、木陰にみんなで座ってちょっと休憩。
時計もないこの村では、みんなが時間に縛れることなく、自然とともに生きていました。
ここが原点
約一週間のホームステイを終えて、ステイ先の家族、村のみんなとの別れを惜しみつつ、来た時と同じようにトラックの荷台に乗りました。
村を出ようとトラックが発進した瞬間、ステイ先のお母さんが泣き出すのが目に映り、泣きながら私も必死に手を振りました。だんだんと小さくなるお母さんの姿が見えなくなるまで。
村を出て数時間、町につきトラックをおりてコンクリートの地面を歩くと、それまで土に慣れていた足が妙に痛くなってきたのを覚えています。また自然の中で生活するのもいいなぁと思った瞬間でした。
そして村での生活は、東京のモノや情報であふれ、便利な生活を当たり前だと思っていた私に、"本当の豊かさ"とは何か、"こころの豊かさ"とは何かを考えるキッカケをくれたと同時に、自分が知らない世界をもっと見てみたいという好奇心をもつキッカケにもなりました。
この時の体験が、海外旅行が好きになった私の原点です
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