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ミュージカル「CROSS ROAD~悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ~」感想

藤沢脚本目当てでキャストスケジュールも見ずに観劇したところ刺さりに刺さり、結局3回観劇したオタクの所感を5000文字。

藤沢朗読劇は5作ほど観ていますが、CROSS ROADはミュージカル化した今回初めて観劇しました。初回は開幕4日目、水江建太さんのパガニーニ、戸井勝海さんのアルマンド。その1週間後水江さん山寺宏一さん回と相葉裕樹さん戸井さん回を同日に。ダブルキャスト4人全員を拝見できました。

水江建太さんのパガニーニ

水江建太さんのあまりに特別で素敵なところは間違いなく、暴力的な少年性を抱いたあの声質です。どこか不貞腐れたように甘い、ファム・ファタール的な魅力のある声だと思います。今回のパガニーニという役と、元は声優さんが演じていたある種アニメ的で特撮的なこの作品にとても合っていると感じました。(後でエーステの摂津万里、バナステのアッシュだと知り膝を打ちました)

開幕すぐは歌唱力に物足りなさがありましたが、難曲揃いであるのに加えてこの頃はWキャストの相葉さんの代打で全公演に出演されていたことも原因だったと思います。中日頃にはかなり歌い込まれ多少の音響調整も入り、東宝ミュージカルの真ん中として許容できるレベルにまでなっていたので感嘆しました。

アルマンドの歌う通りの「傷付いた子供のような」儚さと刺々しさがあり、とくに母テレーザとのやり取りではひどい言葉を投げ掛けておいて自分自身が傷付いているような痛々しさが印象的でした。

相葉裕樹さんのパガニーニ

歌を聴くなら相葉さんだろう、と踏んでいたのですがダンスが素晴らしく、イメージになかったので驚きました。アクセントの付け方が的確でダイナミックで、水江さんより身長は少し低いはずなのですが舞台全体を支配するパワーがありました。また演奏を表現する振付のとき絶えず左手の指が動いていたのも印象に残っています。

歌も流石の安定感で、アムドゥスキアスの中川さんも遠慮なく歌っているのが分かりました。ソロは基本的に爆音なのですが、デュエットで人に合わせようとすると音圧が消えるのが気になるところでもあり可愛らしいところでもあります(もしかすると音響のせいかもしれませんが)。フレージングなど少し情感に欠けるかなと思うところもありましたが母テレーザとのデュエットは声が優しく、親子の共に過ごした月日が感じられて素敵でした。

コンプレックスを抱えて屈折しているものの、圧倒的に明るいヒーロー声のためかどこか素直さが隠せないのが可愛らしく、それが逆にもっと明るい道も歩けただろうと思わされて切なかったです。

2人のパガニーニ

あまりに違いすぎてどこが違うとは言い難い2人のパガニーニですが、特筆すべきは(私の趣味もありますが)やはり声質でしょう。

相葉さんはとにかく明るくよく通る声なので森で己の才能を嘆き「残酷な神よ」と歌ってもどこか反骨心を感じさせ、むしろ積極的に悪魔を呼び寄せたいのじゃないかと思わされます。根本的には己の才能を疑っていませんがどうも上手く運ばないのでコンプレックスを抱えてもいて、その自己矛盾によって性格にも難が出ているような。自信があるのでアムドゥスキアスに対して共同経営者的なフラットさすら感じられ、2人で音楽の覇道を進むバディ物と言われても私は信じます。

甘く気だるげにザラついた声の水江さんは反対に、本当にどうにもならなくなったところに悪魔が現れて手を取るしかなかったという風です。自分に才能が足りないことは認めていますが、虚栄心が強く人にそう見られるのは我慢ならないという精神的な幼さがあります。悪魔によって不当に引き上げられ見世物にされ最後には手折られるという強い被害者意識があり、対人関係は0か1、真摯に全てを見せるか悪魔の仮面を被るかどちらかの両極端なのも特徴です。

アーシャに対しても相葉さんはフラットでいるかわり、水江さんほどは心を動かされません。エリザに対して水江さんは冷たく翻弄することに躊躇いがありませんが相葉さんは紳士的で、エリザが隣に来るまで長椅子に座るのを待っていたりします。

お母さんの前では2人とも等しくただの少年ですが、これは母テレーザが自立心の強い相葉さんに対しては肝っ玉母ちゃん的な懐の広さをみせ、不安定な水江さんに対してはただひたすらに優しさを向け、と微妙に演じ分けていることにも起因する気がします。

アムドゥスキアス

中川晃教さんはまったく流石の一言です。あまりグランドミュージカルで観たいと思えず今回が初めましてだったのですが、アムドゥスキアスについては完璧なキャスティングでした。パガニーニやエリザとの力量の差がありすぎるのでかなり気を使って合わせている印象があり、もっと自由自在にできたらどんなだろうかと思います。

「話すように歌い、歌うように話す」を体現する中川さんは「言葉で表現できなくなった瞬間から音楽が生まれる」という藤沢文翁さんの音楽朗読劇の理念のもっとも近いところにいて、ミュージカルとの橋渡しをしているようにも思えました。

アーシャとエリザ

鮮やかに対比される2人のヒロイン、アーシャ役の早川聖来さんとエリザ役の青野紗穂さん。

早川さんはくるくると変わる表情が眩しくて、少年の憧れを冷やして固めたお菓子のような。パンフレットと違い舞台では前髪を上げていたので表情がよく見えて良かったです。カラッとした明るい話し声もお役に合っていて可愛らしかったのですが、歌うとべたっと重たくなってしまうのと「Asha The Gypsy」の音域が全体的に高く、ずっとピッチがぶら下がった状態なのが残念でした。幕開きから最初の歌唱、要は「掴み」を担当するには率直に役者不足だったと思います。勝手にアーシャはシェーヴェルノートのラ・イル枠だと思っていたので、逆に悪魔と契約させないことがパガニーニの成功体験になったことに意表を突かれました。

青野さんは「コルシカの田舎娘」と歌うにはあまりに都会的な歌声なのですが、そのミスマッチが段々と「皇帝ナポレオンの妹」と「エリザ・ボナパルト」とのミスマッチにも思えてくるので不思議でした。純真で一途であまりファムファタルには思えませんがアムドゥスキアスとのデュエット「Tango To Sin」での声の親和性がとても高く、やはりエリザの本質はそこにあるのだと思わされて可哀想でした。

アルマンド

山寺宏一さんと戸井勝海さんのアルマンドはまったく違った風合いながら共にお芝居も歌も素晴らしく、がっちりと脇を固めていらっしゃいました。

山寺さんは流石はオリジナルキャストと言うべきか、ミュージカルでは明かされていない部分にまで想像力の及ぶような豊かで温かなお芝居。きっちり笑いをさらっていくのも流石です。戸井さんはこれぞ芝居歌という圧巻の歌唱。日本人にはあまり馴染まない神への祈りと怒りを歌っても自然で、クリスチャンらしさのようなものが見える気がしました。

テレーザ

登場から白眉を予感させていた香寿たつきさんはやはり最後まで圧倒的でした。後半に利いてくる「Casa Nostalgia」を冒頭でしっかりと聴かせ耳と心を掴み、音楽と家族を愛する母を地に足をつけて演じていらっしゃいました。

生身の人間として生きて、歌を歌って、天国の階段を登って、最後は永遠への扉を開く。作中の悪魔と対になるように大きく温かく存在する香寿さんによって、カンパニー全体のとくにお芝居のレベルが引き上げられていようにも感じました。

コスタとベルリオーズ

畠中洋さんはもはや職人の域ですね。とくにミズニーニ・ヤママンド回ではコスタ先生が1人で「東宝ミュージカル」成分を担当されていて愉快でした。狡さと哀愁のある先生だったときと悪魔の存在に気付き怯えるコスタのコントラストに加えてベルリオーズとの演じ分けも見事です。コスタ先生は確かに美声ではありつつどこか険があったのにベルリオーズは先行きは明るいが不安を抱えた若者そのもので、声質まで操れるのかと驚嘆しました。

楽曲について

特長的だったのが、弦楽器奏者が作ったと明らかな難曲の数々。作曲家をモチーフにしたミュージカルは作曲家本人の楽曲が素晴らしいだけにオリジナル楽曲で失敗しやすいイメージなのですが、作曲を担当された村中さんがチェリスト、同じヴァイオリン属ということでパガニーニに合っていてとても良かったです。 そしてパガニーニ自身の曲は転換部やパガニーニが悪魔的な演奏を披露するときに少し使われるだけのがまた楽曲の異質さを逆手に取っていて上手いなと感じました。

物語の核心であるCasa Nostalgia以外にもテーマの使い回しが効果的に行われていて、ロック、タンゴ、サルサなど様々なジャンルの音楽が用いられているにも関わらず楽曲に統一感があるのも良かったです。

一方でボーカル譜については器楽的で難易度が高く、経験・実力的に安心とは言えない今回の座組にはアンマッチと感じました。中川さん演じるアムドゥスキアスなどは流石に悪魔的に歌いこなしていらっしゃいましたが、前述のアーシャの曲などはもう少し音域の配慮が行われても良かったと思います。

演出について

藤沢朗読劇からの文脈で見れば、なんとも真っ当にミュージカルになったなという印象を受けました。反対に藤沢朗読劇を見ない方、東宝ミュージカルを見慣れた方には特殊効果の使い方などが独特に思えたり転換がないのが退屈かもしれません。動きがないことを前提に作られた朗読劇の演出とミュージカルの演出のギャップが埋まりきらず「この部分は朗読劇ならもっと良かっただろうな」と思われてしまうのがリメイク?の難しいところですね。もっともこの程度の齟齬があるのは当然のことでむしろ今後の伸び代に期待させられましたし、これまでにないミュージカルの形にわくわくしました。

それから作中でヴァイオリンは弾かず、演奏をダンスで表現しているのがとても良かったです。悪魔と契約した超絶技巧のヴァイオリニストの演奏シーンを小手先で再現しようとせず、想像力に任せてしまう潔さが好きです。ボウイングのように右腕を振ると観客が1人また1人と仕留められて魅了されていく、振付もダイナミックで蠱惑的で素敵でした。

ミュージカルになったことで藤沢脚本の2次元ぽさが浮き彫りになっていたのは新鮮でした。高潔な人物が多く物語自体にも救いがあるのでオタクのほの暗い癖を刺す訳ではない藤沢脚本ですが、よく考えると「我ソロモン72柱の魔人、29の軍団が長、地獄の公爵アムドゥスキアス」と言われてはい分かりましたとなるのはオタクだけなんですよね。悪魔が「破壊と破滅を誘い、悪を欲する者」であると分かり、契約内容も大方察している層にはとても刺さっているけれど、そうでない層は置いてきぼりになっている人もいるのかなと感じました。

おそらく各所で言われていることだと思いますが、もともと爆音上演のきらいがあることは差し置いても歌がオーケストラに呑まれて歌詞が聴こえないのは問題だと思います。キャストごとの声量にばらつきがあることと、演奏が比較的人の声の音域にちかいチェロを中心としていることもこうなる原因かとは思いますが改善されることを期待します。

物語について

音楽家に限らず何かに打ち込んだ経験がある人はきっと共感できる、普遍的な物語だと思います。アムドゥスキアスがパガニーニの才能の限界を語る「楽器は他人のように冷たい」という台詞を聞くたび、10年一緒に過ごし離れてちょうど1年になる私のトロンボーンのことを思い出しヒヤリとさせられました。

最後にたどり着くのが「Casa Nostalgia」、郷愁というのは普遍的すぎると言えなくもありませんが、実家にあんな素晴らしい歌声のお母様がいれば誰だってホームシックになります。母親の歌を自分なりの曲にして、それがさらに奏で継がれていく。命を繋ぐのにも似て、確かにパガニーニの演奏は命そのものだったと思い返しながら聞く「アンコーラ」には、命にアンコールがないだけに泣かされました。

これは個人的な感傷ですが、人間は、そして悪魔すらも「音楽の奴隷」なのだと説くパガニーニは音楽に愛されることを諦めたと同時に、それでも音楽を愛すると決めたのだと思います。神の御許に行けないパガニーニは音楽のしもべとして傅き、たとえその魂が悪魔のものになったとしても全ては音楽に「捧げている」のです。

クロスロード

観劇後、なんども「十字路」について考えました。越えてきた十字路、立ち止まりそうになった十字路、あるいは立ち止まってしまった十字路。ふと、確かにパガニーニは1人だったけれども、いくつかの十字路でエリザと出会いアーシャと出会いベルリオーズと出会ってきたのだと腑に落ちました。

演出家も作曲家も出演者も新たな挑戦をしたミュージカル「CROSS ROAD」は、各々その道の熟練者しかいなかった藤沢朗読劇に比べると確かに拙い部分があったものの、キャスト誰のファンでもないオタク(一人称)をリピーターにし、何日もクロスロードのことばかり考えさせるくらいには熱量に溢れた作品でした。

2次元のオタクに刺さりやすい作品だとは思いますが、日本のオリジナルミュージカルの未来を憂うミュージカルファンにもぜひ観て欲しい作品です。劇中の言葉を借りるならまさに「チューニング中」、ミュージカル界に輝かしい名演を残すその直前を目撃したのだと信じています。

長くなりましたが、最後にキャストスタッフの皆様のご健康と千秋楽まで無事に上演されることを心から祈って終わりにします。素敵な作品をありがとうございました!

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