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スリル・ミー2023覚え書き

あまりにも観る度に毎度発見があるので2023時点での所感を留めておきたくなりました。

3組の印象ざっくり

観劇の履歴
松岡私×山崎彼 (2023 東京 現地)
木村私×前田彼 (2023 東京 現地)
尾上私×廣瀬彼 (2023 東京 配信)
松岡私×山崎彼 (2023 東京 配信)

松岡私×山崎彼

特にキャストのこだわりなくチケットを取ったのですが結果的に初見を捧げることになった松山ないしヤマコーペア、6年前に元気いっぱいステアラを走り回っていた可愛い広大くんがこんなに大人(53歳)になって.......という感慨もそこそこに、まんまと沼に引きずり込まれることになってしまいました。

メンタルぐらぐらで足元がおぼつかないのに、虚勢を張ってニーチェに縋って遠くに手を伸ばそうとする山崎彼が、その足元で唯一揺らがないと思われた松岡私に足を取られて転がり落ちてしまうような。山崎彼くん、愚かで可愛いね♡を地で行く今どきフィクションでも珍しい逸材すぎて、でも作品のテーマがテーマなので愚かで可愛いとか言っていいのか分からなくて一瞬だけ悩みました。

初見では当然分かりませんでしたが松岡私が他の私たちに比べて圧倒的に彼に対してフラットでフランクで、最後まで正気を保っているのがものすごく好きです。

木村私×前田彼

ヤマコーペアを観てやっぱり他ペアも観たい!となって取った木前ペア。木村さんはJtRで、前田さんはハイローで存じ上げていましたがお二人の並びが未知すぎて勝手にドキドキしました。

木村私は99年に向かっていくプランが明確で、窃盗の段階から着実に仕込んでいるのを、匂わせるを超えて嗅がせにくる勢い。他方、前田彼は木村私を自分と対等どころか同一視すらしているというすれ違いカップルぶり。

前述の通り私は正気の私が好きなので木村私は狂いすぎていてちょっとくどいかなという印象ですが、逆に松岡私と木村私を続けて観なかったらここまでハマらなかった気もします。彼の方も、崩れていく殻を取り繕いながら必死に外界から身を守っているような山崎彼と、身のうちに激しく燃える炎をどうにか閉じ込めようとしえいる前田彼とでは同じ陰険な外面でも意味合いが外圧向けと内圧向けとにちがっていて面白かったです。

個人的に、山崎彼は愚かで可愛くて大好きなんですが、彼としてはもう少しセクシーというか、彼自身が望もうと望むまいと私や皆を誘惑してしまう色気のあるタイプでも良いのではと思っていたので前田彼はかなりそれに近い気がして好きです。ただ木前ペアは木村私の狂い力が強すぎて、せっかく前田彼の狂わせ力が強いのが活かされていない感じもします。やっぱりすれ違いカップル。

松也私×廣瀬彼

尾上私なのか松也私なのか定まらない尾廣ペア。松也さんは歌舞伎でしか見たことがなく、廣瀬さんは王子様みたいなお役でしか見たことがなく、実年齢的にも意外性があるかと思いきや結局ここが正道のような気がしています。初見とか1回だけ見るならここかなと。神(になりたかった男)と狂信者(だったはずの男)のペアです。

最初から狂っている木村私や最後まで悩み続けた松岡私と違って、警察の取調べの後に彼に冷たくされたのが決定打になって彼を裏切ったというコントラストが1番見えやすいペアだと思います。加えて、廣瀬彼は“社会規範を超越する者"を超人とする定義が彼らの中で1番しっかりしているので、松也私がそもそも“契約書”という規範に縛られない超人だったこともよりクリアに見えるペアだと感じました。

覚え書き

台詞・歌詞の解釈や各ペアの印象を徒然と。

M1 プレリュード

ピアノ、に限らずポリフォニック楽器って良いなあ……と思わされる能弁なプレリュード。ここを聞き比べるだけでも数日過ごせそうですよね(嘆息) ピアニストごとの違いを聞き分けるまでにはなれずに公演が終わってしまったので是非音源をください、ホリプロさん。

M2 隠された真実

「お話します できる限り」が後の契約書で出てくる「できる限り」と重なって、そもそもこの作品は私による語りで、どこまで真実が語られているのか分からないという含みにも聞こえるし、続く“2人の日々”を詳らかに話す気はない、という牽制にも聴こえる。

「言葉にするのは難しい 2人の日々 なんだったのか」の“なんだったのか”はどこにかかるのか。それがなんだったのか言葉にするのは難しいです(申告)と、あの日々とはなんだったのか(独白)では全く意味合いが違ってきます。配信の松岡彼は後者のようですが、前者の人?回?もあった気がします。

M3 僕はわかってる

私には「何が面白い?鳥なんか見て。」と言いながら自分は後に「こういうスリル(殺人)が欲しかったんじゃないのか」と同意を求めてくるの最悪すぎませんか?

「俺は今のところで満足してる」は最初にふたりが選んだ最高の大学ではない大学、大学院に通ってることについての言い訳でしょうか。

この場面で彼は私を疎ましく思っているように見せながらも、彼の方から先にキスをして繋ぎ止めようともしています。私の「僕だけだ こんなにも強く深く 君を求めているのは 」という歌詞は"彼を求めること"自体が私の価値だとも読み取れて、彼はある種の愛着障害のような、誰かに認められ欲されることそのものを求めているのではないかと想像しています。

【自分への注釈】
「僕だけだ こんなにも強く深く 君を求めているのは」の後は「他の誰でもない僕 僕1人なんだ 君も同じだろ」と続く。必ずしも彼だけがそれを求めているのではなく、双方向に求め合っている(と私は思っている)ニュアンス。

M4:やさしい炎

初見の時の刺さり曲。ここで初めて彼が歌うのがやっと本心を見せてくれる感じがします。炎に魅了される彼の歌に、私も輪唱で加わったのがユニゾンになりハーモニーになる流れが2人の心の繋がりを感じさせるところと、最後の「赤く 赤く 広がる」のフレーズのアインザッツの合わせ方に2人の個性が出るのが大好きです。

M5 契約書

各彼でニーチェの履修レベルにかなり差がありそうなのが面白くて好きです。私の見立てでは山崎彼はツァラトゥストラを1回しか読んでないし感想ツイートしただけ、前田彼は5回は読んで勉強会にも出てこれから論文を書くところ、廣瀬彼は修士も取って今ちょっと思想の傾いた勉強会で講師をしています。

「A(私)はB(彼)の要請に対しすみやかにその指示に従うことを誓う。できる限りで。その場合、BはAに対しても同様に、いかなる要請に対しても同意することを誓う。」

「できる限りで」は日本の契約書だとあまり見ない表現の気がしますが英語だとinsofar as possibleとかなんでしょうか?

【追記】
私:but only as much as I get!
彼:whatever
らしいです。随分ニュアンスが違う。韓国語の
私:그 보상만 해준다면(その補償さえしてくれるなら)
彼:얼마든지(いくらでも)
はお互いにスイートですね。

A(私)は“できる限り”、B(彼)は“いかなる”要請に対してもである点が不平等な契約だと言われているのを見ますが、個人的にそこは“同様に”で丸め込むのかなと思っていました。契約法は何も知りませんが……。

【追記】
英語でも「私は彼の要請に応え、援助することを誓う。彼が何を望んでも、私は全力を尽くす(GIVE THE BEST)。ただし、見返りの分だけ。彼は私を満足させる(SATISFY)ことを誓う。私が必要とするものは何でも与える。(意訳)」と“全力を尽くす”と“満足させる”の差があるので意図された不均衡なのかも……。

「正しく法律に従った正式な契約だ」「2人を決して離さない 永遠に」と歌うからにはこのときは彼の方にも契約期間を定めない契約でもって“永遠を誓う”覚悟があったということになりますが、これはどこで変わってしまったんでしょうね?さすがに終身刑でずっと同じ部屋に収容されるような物理的な窮屈さを強いられる予定ではなかったでしょうが……。

それから、彼が「前にもやったことがある」のが誰かと血の契約を結ぶことなのか、自傷をすることなのかが気になっています。個人的には後者だけど流石にそうとは言いたくないので前者の可能性もある風に言ってるのかなと。さらに仮定が続きますがもし後者なら破壊衝動のはけ口なのか、自罰なのか、痛みによって心痛を和らげたいのか、色んな目的があるよなぁと思っていて、まあどんな目的にせよ悲痛ではありますが、ここを私は突っ込んで尋ねないんですよね。

M6 スリル・ミー

私はめちゃくちゃ我慢させられているような言い方(歌い方)をしているので最初は蔑ろにされて可哀想に……と思っていたんですが、何回か観ていると一夜(というか5分)でイーブンになるくらいだから今日の窃盗の分だけの負債なのでは?ということに気が付きました。1回の犯罪と1回の性交渉をどう天秤にかるべきか凡人あるいは末人のわたしには分かりませんが。

どうでも良いけど血でサインって血判のイメージだったけどしっかり名前でサインしてるんですね。器用。

M7 計画

各ペアの印象でも書きましたが、廣瀬彼は“社会規範を超越する者"を超人とする定義が彼らの中で1番しっかりしているので“もっとどでかいこと”→殺人!の流れが比較的飲み込みやすい気がします。前田彼は行為にとくに負担を感じているように見えて、その最中に思い付くのだからさぞ最悪な思い付きでしょうねという感じ。山崎彼は“どでかいこと”への興味よりは父親と弟への怒りがとくに強そうで、私としながら嫌いな人のことを考えていたと思うと切なくなります。

殺す子供のことを「犠牲の羊」と表現するのはキリスト教あるいはユダヤ教の“贖罪の羊”、つまり弟の罪の代償として捧げられるという意味でしょうか。ニーチェは宗教的な世界観を批判しているのに不自然な気がします。

【追記】英語では
Just a boy who's in the park
Just a kid who's in the park
で羊は出てこないようです。
brother→boy→kidと少しずつ対象をずらしていっているような印象。

M8 戻れない道

配信を延々とリピートしながら1番好きになった曲です。覚えてしまった歌詞を全部書きたいくらいですが著作権に配慮するとして、まずは「彼の心に潜む 力への意志」ニーチェの著書に(確かツァラトゥストラにも)登場する概念である“力への意志”がナチュラルに織り込まれているところが好きです。

「禁じられた森だと気付いた」のは殺人に至る時点なのか、無期懲役囚として収監されたときなのか、彼を失ったときなのかを53歳のこの時点からは窺い知ることはできませんが、松岡私は比較的早期・木村私は末期・松也私がその間という印象があります。

最後のフレーズ
♪歩いてた 振り返ることもせず
♪目指したものは理想の場所
♪もし行けたなら いつまでも2人 永遠の時間
♪信じてた
も各私、各回によって違いが大きく、たいへん味わい深い部分です。

M10 超人たち

スリルミーの音楽ってキャストや歌い方やピアニストによってクラシカルにもポップにも色んな聴こえ方をするのが面白いなあと思うんですが、この曲はとくに各ペアで曲の印象の差が顕著だった気がします。

興奮(彼)と恐怖(私)のテンションの差が大きい尾廣は声質的にもはっきり違うので僕の眼鏡/おとなしくしろのような噛み合わない感じが既に出ておどろおどろしい雰囲気ですが、声質の近い木前や比較的テンションが一致している松山ではやや少年アニメ的な明るい曲調にも感じられました。

M11 脅迫状

眼鏡がないと言う私の顔に脅迫状を近付けて「これで分かるだろ」(と言うのは山崎彼だけで、他2人は「これで読めるだろ」)と笑う山崎彼がすこぶる上機嫌で、彼らの中で2つのスリルが強く結び付いていていることを踏まえるとある種の睦言のつもりなんだと思い付いて泣きました。

広大くんがラジオかなにかで「顔に近すぎて逆に読めない。意地悪だけど好き。」(雑な抜粋)と言うようなことを言っていて、私の方は「ゲームだったんです」なんてお洒落に(?)言ってるけど山崎彼としては好きな子をからかって楽しむみたいな幼い戯れで、それが許されるような関係なんだと思うと本当に切なくなります。脅迫状をネタにピロートークはしないでほしいですが……。

M12 僕の眼鏡/おとなしくしろ

ラジオが「記録的な猛暑」と言うようなことを言っていて、これが死体発見の原因に繋がるのかなと思っていたんですがあんまり関係ないんですかね。猛暑で下水が増水するわけでもないだろうし。  

ミザンスも細かくついていながら緻密な掛け合いが必要なこのあたりで歌の安定感の差がはっきり出てきて、色んな意味でスリリングでした。

M14 戻れない道 リプライズ

「眼鏡が発見された後、すぐに警察から連絡がありました。あんなに早く分かるとは、とても驚きました」発見されること自体は折り込んでいる言い方をしてることに気づいて震えました。

M15 僕と組んで

「この点についてニーチェはなんて言ってる?」作中で一番好きな台詞です。ここでまだ崩れない彼たち、強くて綺麗ですね。

彼に対して完全に優位に立ったにも関わらず「なんでもしてあげるね」にはどこか諦念が滲んでいるのがなぜかよく分からなかったんですが、私が想定していたプランに見事に彼がハマってきてしまって、いよいよ絞首刑に照準が合ってしまったことへの覚悟なのかなと今は思っています。

戻れない道でも歌っている“理想の場所”を目指して手引きしたのは私自身でも不安定な要素は多かったはずで、ここまで計画通りに運ぶとは思っていなかった、あるいはいくつかのプランの中から見事に絞首刑に最も近いプランが選択されてしまったことへの反応なのではないかと。

(担当弁護士の歴史的とも言える弁論による絞首刑回避を勘案に入れるほど私は甘くは無いと思っていて、順当に考えれば“一緒に絞首刑”が最も可能性の高い勝ち筋でしょう。)

M16 死にたくない

あんまり強くて綺麗だから、砕かれてしまって可哀想で綺麗な彼たち。ここはキャストによっては歌じゃなくても良かった気がします。

もうニーチェなんて関係はないのでしょうが、ニーチェが死を生の完成と見なし受け入れることを超人的な態度だとして、死を殊更に重んじいざ死ぬとなれば後込むような態度を批判していることを思うとおかしみのある場面です。

M17 九十九年 / スリル・ミー(フィナーレ)

「99年」のフレーズが“n”の音で終わるのが好きです。「僕のものだ」の“a”のような母音の柔らかみのない、不安定な撥音。いつだったか、日本では「99年」ですが元は「Life plus 99 years」なので、彼が死んで終身刑を終えたとしてもまだ刑期は99年残っているということに気がついて心底彼が不憫になりました。

「怖くなったか?」という台詞について、私自身が彼にとって“恐怖”になることで“Thrill me”を達成する、という解釈を見かけて怖かったです。誰か知らないけど確実に木村私ですよねそれ。

彼の精一杯の「だがこれから君は孤独だ 1人」に反駁する「いや 離れられない 99年」は慌てて言い繕うようであったり、追い打ちをかけるようであったり、勝利宣言であったり様々なのになぜだか彼と私が和解することは絶対になく、一体どんな演技プランなのかどちらに合わせているのか、何度観ても不思議でした。激詰めする回の松岡私がとくに好きです。

♪永遠とは言わない 死ぬまでは
♪2人はずっと 99年
♪99年 永遠に
永遠とは言わない、と言ったそばから永遠を願ってしまうのは永遠のように思われたそれが既に失われてしまった53歳の私の思いなのかと切なく思える時もあれば、完全勝利宣言の木村私などでは永劫回帰を意識させるような時もありました。ある意味、彼がいつまでも続く私との人生を受け入れれば、それは永劫回帰を受け入れる意思であり力への意志、つまりは超人と認められるのかも知れません。

終わりに

最後に何を書こうか考えながら見出し画像を選んでいたら、ポスターに鬼灯が描かれていることに気が付きました。花言葉は「私を誘惑して」だそうです。ぞっとしたので共有しておきます(とっくにみんな知ってそう)。スリルミー2023、ありがとうございました。

追記。絶対に忘れないし忘れたくないし忘れてはいけないのが、これは実在の人物と事件がモチーフだということ。この作品に夢中になるほどにそれで良いのかという気持ちは強くなり、罪滅ぼしのように当時のユダヤ人のことや同性愛者のことを調べたり考えたりしています。作品やキャラクターの名前が実在のそれとは離されているのは良い事だと思いますが、だからこそ私たちの方がその取り扱い方をぞんざいにしてしまう気もします。これは自戒です。

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