カメラを買った日
一昨年の秋、久しぶりにカメラを買った。買うにあたって、思ったのは「Leicaがいい」だった。そんなことを話したら、「なぜ?」って。欲しいから、だけど、何か?だった。でも、とりあえず、量販店とLeicaに行って、カメラを見て、親切な友人にアドヴァイスを求め、わたしが欲しいと思う程度のカメラはLeicaのコンパクトデジタルカメラではない、とわかった。そこで買ったのは、SONY Cyber-shot RX100V。快適な使い心地で、毎日、持ち歩くことになった。それまでのiPhoneとの大きな違い、そして一番求めてきた機能が、「シャッター音がしない」こと。レストランで写真を撮る時もこれで恥ずかしくない。
「メイン機 RX100V」の日が半年ほど続いて、ミラーレス一眼に興味が出てきてしまった。すると、カメラを買うときにアドヴァイスをくれた友人が、自分のミラーレスを手放すということで、下取りすることにした。ZEISSのレンズ付き、そしてコニカのオールドレンズも「ほぼ永久貸与」でついてきた。RV100Vに全然遜色はなく、ZEISSのレンズは素晴らしくクリアに良い発色が楽しめるのだけど、α6500にZEISSのレンズで撮る時は、更に画質が良い。オールドレンズの、柔らかく、ゆるい感じが、また、とても良い。我が家のヨーキーが被写体のとき、被毛の具合がとてもよく出て、ミラーレス一眼の良さと、オールドレンズの良さを知ることになった。これで、「メイン機 RX100V、α6500もだけど、毎日は持ち歩かない」というスタイルになった。
そして、夏が過ぎる頃、運命が。銀座に用事があり、予定の時間より早く着いたのでLeicaによって、ショーケースの中を見ながら店員さんと話していたら、「とりあえず、持ってみてください」と言われ、手に取ると、すでにしっくりと手に馴染んでいるカメラに出会ってしまった。心はもうすでに決まっていて、用事を済ませてから、再度お店に戻って、Leica Qが私のものになった。
こんな大きな買い物をしたの、車以来。それ以降、毎日、持ち歩くことになった。「メイン機 Leica Q、サブ機 RX100V」と言っても、サブ機のRX100Vは「確実」のための保険でもある。Leica Qはコンデジだけれども、「これ」と思ったショットが撮れないときもあり、とくに、お料理に関しては、RX100Vの方が断然良いときもあって、二台持ちが決まりとなっている。通勤途中、首からLeica Qを下げて、毎日通る同じ道を、写したい瞬間を探しながら歩くのが習慣になった。
なぜ、Leicaなのだろう?祖父が写真が好きで、使っていたカメラがLeicaだったと聞いたことがあり、それが、ずっと頭にあったのかもしれない。素敵だな、と思う写真がLeicaで撮ったとクレジットされている場合が多かったのかもしれない。クラシカルなスタイリッシュな無骨なカメラ、赤いロゴが目を引く、そのカメラに憧れて、半ば衝動買いに近い、というか、一瞬で恋に落ちた、というか、そんなことで、写真を撮ることがとても楽しくなってしまったのが、去年 2018年。
撮りたい写真、それ自体が、まだ悩みどころである。何を撮りたいのか?人を撮るなら、その人の中にあるわたしが感じるもの。その人が一番素敵なところ(わたしが感じる素敵なところ)を撮りたい。お料理なら、そのお料理が目の前にある美しさ、美味しさを感じる写真。私が感じるものを撮って、それが伝われば、うれしい。
これからは、SNSへの投稿は少し控えめにしていこうと思う。「いいね」は気になるし、「いいねをするときに意味はない、雰囲気で」という人がいるけれど、それは、嘘だと思うし、でも、それに一喜一憂してしまう悲しい自分が辛いから。
Leica Q 「色が見えない青空」