人は自分じゃないということを受け入れること。
何やら難しいタイトルになりましたが、ここ数年僕が努力していること。今日は久々に小難しいことというか、メンタル的な話を書きたいと思います。
もうタイトルに書いたことが全てなのですが、生きていく上でこれは非常に大切な事というか、もうこれが全てなんじゃないかと思うくらいみんながこの精神さえ持っていれば平和な世の中になると思う。
要は自分が当たり前だと思っていることはあくまで自分の常識の中でのことであって、他人からしたら当たり前ではないということ。でもこれを理解することがなかなか難しい。自分の思うように人が動いてくれないとイライラしたり怒ったりしてしまう。
仕事やバイトをしていて、夫婦やカップル間で、コンビ間で。生きていると人の動きや行いにどうしても疑問や苛立ちを感じてしまう。なんでそうなるの?なんでもっとこうしないの?それどういう感覚?でもそんな事を思うのは当たり前のことなのだ。何故なら人は自分じゃないし、自分はその人じゃないから。だからそれを心に強く持って忘れないようにしておく。すると、少しイライラしたりしそうになっても自分の感情をセーブ出来る。これは感覚の違いなだけで本当に100%自分が怒るようなことなのだろうか?と考えることが出来る。
犯罪や人を傷つけるような行為はもちろんそんな事で見過ごしてはいけないが、感覚のズレで生じる他人への違和感、ストレスはかなり減少出来て結果的に自分のストレスを無くして自分の心を健康に出来る。
ちなみに電車で降りる人を待たずに乗ってくる人や列で順番抜かしをする人など、生きていると絶対にその人が悪いというものにも出くわしてしまうことがある。この時、注意出来る人は注意すればいいと思う。1番よくないのはこちらがストレスを抱えてしまうこと。僕はそういうヤバい人と出会したときは、「生きてたらヤバい人と出くわす事もあるから気にせんとこう」と思ってすぐに忘れるようにする。生きてて不運な事があった時もそう。「何でこんなことになるんだ、、」と思うのでは無く「生きてたら不幸な事もあるよね〜しゃーないしゃーない」「死んでないからOK」と思うようにしている。
こういう考えが出来るから僕は周りの人からポジティブだとよく言われる。行きたかったお店に外食に行って1時間並ばないといけなくなっても「その間にお腹が空いてもっと美味しくなるぞ」と結構本気で思える。というよりそう思った方がストレスが無いからそう思うように出来る。でもこの時「1時間も待つか。嫌だな。」と思う人もいる。僕は前までその人に対して、何でそんなネガティブなんだ?もっとポジティブに考えろよ!と思っていた。でも最近気付いた。これも、人は自分じゃないからそういう感覚も人それぞれなのだと。だからそういう感覚も強要はしては行けないし、相手の感覚を尊重しないといけないのだと。
僕はメンタルがたぶん強い。だからメンタルが弱い人の気持ちがあまりわからない。でもメンタルの弱い人の気持ちが自分にはわからないことには気付けた。これは大きな一歩。僕たぶん仕事の効率が良いタイプ。だから仕事の効率が悪い人の思考回路がわからない。でもその人も悪気はないし、僕はその人に寄り添わないといけない。自分よりも劣っていると言ったら悪いけど、そういう人には厳しくするのでは無く、寄り添わないといけないのだなと最近わかってきた。
運動神経が悪い人には何を言っても難しいように、僕も歌とか絵とかのことを言われてもどうしようもない。そんな感じでひとそれぞれ得意不得意があって当たり前。運動出来て絵が下手な人もいるし、その逆もいるように、自分が当たり前に出来る事を人が当たり前に出来るとは限らない。仕事とかをしてる時も何故あの人は?と思うことがたくさんあると思うけど、是非ことのことを思い出して欲しい。
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