空がきれいだった
土曜日、池袋で友人との食事を終えてずっとほしかった本も帰りがけにゲットできて大満足な日だった。
その日は寝不足でさらには慣れないヒールを履いていたためもうへとへと。一刻も早く布団に入って目を閉じたかった。
夕方17時ごろ、最寄駅に到着。駅チカのいつも通っているジムに併設されている銭湯で体を温める。家の狭い湯舟に浸かるよりも大きなお風呂でゆっくりと休まりたかった。そして少しでも疲れを取って充実した睡眠へとつなげるために。
銭湯のおかげで体はかなり休まった。
ジムを出て駅反対方向の自宅へと向かう。
ひたすらに建物だらけで空は狭く、電柱と人だらけのいつもと全く変わらない都会の風景。早く家に帰りたい。
駅の目の前には交差点がある。自宅はこの交差点を曲がって大通りに出た先にある。その大通りをまっすぐ進むと江戸川に突き当たるため目先に建物などはなく、この道だけは空が拓けて見える。
交差点を曲がると急に私にオレンジの光が降り注いだ。
空が燃えていた。
空は雨が降り出しそうなくらい雲に覆われていて、沈みかけの夕日の光がその雲の下側だけにギラギラと反射していた。そのためモクモクと炎が立ち込めているように見えた。
まぶしく鮮やかでおどろおどろしい空と陰になって黒く見える両端の建物や地面とのコントラストがきれいで、しばらく景色を眺めていた。
だれかとこの感動を共有したくてスマホのカメラを起動した。
しかしスマホ越しに見る空は肉眼で見るそれとは違い、つまらないものになった。
こんなつまらない写真を見せられた相手は反応に困るだろうし、自分が良いと思わなかった写真をSNSに載せるようなことはできない。
もったいないが一人で空を堪能してまた家路につく。
歩いていると前方左の小道から人が一人出てきた。驚くことに、先ほどの私と同じように下を向いていた顔を上に向けて、写真を撮り出した。
同じ空を見ておそらく同じ感想を持った人が目の前に現れて私は震えた。
心で感じたことを誰かに共有したい。その欲求が思わぬ形で満たされたことが今日のどんなことよりも一番うれしかった。
すれ違う時声をかけたい気持ちを抑えて、でも心の中ではたくさんその人に話しかけた。
田舎の高校生だった時を思い出す。一緒に下校していた友達と夕と夜のグラデーションになった空を見上げて、今の空のどの辺りの色が好きだとか適当な会話をしていた。
あの時は学校の友達や一緒に住んでいる家族など、些細な事なんでも伝えることのできる人がすぐ近くにいた。
とても満たされている10代だった。
そういうことを気兼ねなく共有できる人が人生には必要だと思う。
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