人並みでいられない罪
人並みに生きることは、どうしてこんなに難しいのに、簡単にできているように見えるのだろう。
人並みに生きるのってとても大変だ。人並みに学校に行き、人並みに夢を持ち、人並みに社会人をやって、人並みに家族を作り、人並みに子供を持ち、人並みに歳を取って、きっと人並みに死んでいく。この人並みにやっていくことの、なんと難しいことか。
学校では、人並みでなければ爪弾きにされる。 周りに合わせ、先生の言うことを聞き、しかしそれでいて、真面目すぎてもいけない。正解はないと言いつつも、実は決まった正解に皆で合わせて生きなければならない。
夢ってなんだろう?今をなんとなく生きていてはいけませんか?「夢をいつか持つのが夢」では、捻くれ者ですか?
社会人としていきるのは苦しい。自立心を持ち、自分で考えて行動しながらも、勝手なことをしない独立駆動の歯車は、自己矛盾に潰されてしまいました。
家族になるって何だろう。一人で生きることは罪なのだろうか?機能不全の家族で育ったら、普通の家族にはもうなれないのだろうか?
子供は必ず作らなければならないのでしょうか?かつて「授かる」と表現されたものが、人為的な「作る」に変わってしまったこの世界で、嫌々でも作るべきなのでしょうか?皆が人口ピラミッドの健全化を求めて、いざ子づくりに励んだのでしょうか?
歳を取らないと、死んではいけないのでしょうか?この生きづらい世界で、明日を生きることの辛さから逃れるのは、罪なのでしょうか?誰かが生きたかった明日でも、今消えたい今日を生きるのは義務ですか?自分の命も自由にならない世界に正解はありますか?
それは多数決で決まったものなのでしょうか。罪人を決めるために。罪人を決めれば、多数派のそれが価値のあるものと認められるかのように。本当はなにも変わらないのに。罪人がいないと、人並みの人たちが人並みで満足することへの罪悪感から逃れることができないかのように。
それでも、人並みであろうとすることを、少しでも人並みであろうと歩み続けることを、人並みになれない自分の欠片から目を背けながらも、諦めずに生きていく。人並みでいることに不必要な罪悪感を抱き、誰かを罪人にしなくても済むのなら、自分の「人並みでない部分」も、少しは愛せるかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?