ミャンマー内戦⑯厄介な革命(民主派の恐るべき腐敗)
いかにして一編の詩が、短いながらもミャンマーの抵抗運動に衝撃を与えたか
ママヌジーへ
2024年5月下旬、ミャンマーの抵抗運動を支援するある人気詩人が、自身のFacebookアカウントに400行25連の詩を発表した。『ママヌジー(Ma Ma Nu Gyi)へ』(ママヌジーというのは女性の名前だが、国民統一政府《NUG》のことである)と題されたこの詩は、長距離バスに乗ってミャンマー中央部のドライゾーン、つまりアニャー・ハートランドに向かう様子を描いた悲歌である。
冒頭から第7段まで、語り手はママヌジーを探すためにアニャーに向かうバスの情景を描いている。 村の空爆や焼き討ち、検問所での恐喝、刑務所の日常を思わせる短い停車時間、そしてアニャーが負った戦争の傷跡が詩の中で言及されている。
第8節から第15節にかけては、国軍による農村の破壊を生々しく描写する。 語り手は、必要最低限のものしか持たずに逃げ惑う村人たちや、道路に散らばる地雷の痕、蜂のように駆け寄って食べ物を売りにくる行商人、銃弾が飛び交う中を身をかがめて逃げる人々を描く。 また国軍がなんの咎め立てもされず、この国と国民を繰り返し虐待している様子も描いている。
この詩は、慢性的な貧困に直面しても慈善精神と忍耐強さを発揮するというアニャーの人々の評判とは対照的に、ドライゾーンが生き地獄と化していく様子を印象的に描いている。何年もかけて貯めたつましい貯金と送金で、少しずつ建てられた家々は今や焼け落ちたり放棄されたりしている。死んだ牛を抱きしめて次の作物をどうやって植えればいいのかと嘆く農夫。黒焦げになった村の多目的トラックとバイクを見つめて思い悩む男たち。”彼ら”(国軍)が自分の家を焼き払った火で鶏を調理したと嘆く老女。家の残りの部分が焼け落ちたのに、仏壇だけが無傷だったことに慰めを見出す女性。
そしてこの詩は、16節から物議を醸す領域に入っていく。角のある動物が角を使う傾向があるように、"手に角 "を持った "ある人々 "が村人をいじめ、”革命家”が”植民地の悪鬼”のように振舞っている。そして語り手は、”ママヌジーから角を与えられた”人々が村人を虐待しているのを見て嘆き、”一番身近な剣”を恐れて、怒りを飲みこまなければならなかったと語る。
次の節はさらに辛辣だ。語り手はママヌジーの”2人の兄”を叱責し、彼女から武器を与えられた人々を元に戻すように求める。なぜなら、その人々は”角を人々に向けてしまった”のだから。この詩は、語り手が戦争から利益を得ていると非難する抵抗運動のロビイストや有力者たちとともに派閥主義を糾弾し、銃口から権威を引き出すすべての者を大地に飲みこまれてしまうようにとの願いが込められている。 語り手は、ママヌジーが不誠実でもなければ、"人々の汗と血と涙から上前をはねる "日和見主義者でもないことを期待していると述べる。
この詩には反戦感情が込められている。 語り手は、言葉による戦争は簡単だが、人命がかかった戦争は残酷だと主張する。 彼は内戦を表現するのにカニバリズムを持ち出し、それは魚の切り身を使って魚を誘い出したり、ネズミの尻尾を切ってネズミ捕りの餌にしたりすることに似ていると述べている。
最後の 4 つの節はさまざまな感情のメドレーで、アニャーの人々は依然としてママヌジーに希望を抱いていたものの、遠く離れた安全な場所からお説教を垂れる”傭兵ロビイスト”によって見捨てられてしまったと述べている。昔のアニャーが今や永遠に失われ、食事の席は空席、処理すべきトラウマと再建すべきこものがたくさんある。この詩は、ママヌジーに「アニャーの現実」を見て、鳩の鳴き声を届け(平和の象徴)、オリーブまたはタビャイの枝(勝利の象徴)をすぐに差し出すように懇願し、主人公に「アニャーに嘘をつかないように」と警告して終わる。
分裂した反応
タイトルからして、この詩が国民統一政府(NUG)を指していることは想像に難くない。 この詩は、NUGを指すために親軍派のネットユーザーによって作られた "Nu Gyi "という呼称を転用したものだが、現在では一部の革命運動家たちの間でも使われており、"妹 "や "お嬢さん "を意味する "Ma Ma "という口語の接頭辞がつけ加えられている。 読者はすぐに、2人の”兄”はNUGの上級指導者のことであり、”角の生えた人々”は国民防衛隊(PDF)と、クーデター以来ドライゾーンに増殖しているNUGの草の根レベルの行政機関・人民行政チーム(Pa-Ah-Pha)のことだと察した。
Facebookのコメント欄はすぐに炎上し、作者は数時間後にこの詩を含む投稿を削除した。その後、件の詩人は、50万人のフォロワーに対し、NUGを侮辱する意図はなかったこと、また”稚拙な文章”が誤解を招いたことを謝罪し、アニャーの混乱した状況に注意を喚起したかっただけだと述べた。しかし、その時点で、活動家、ジャーナリスト、ネットユーザーが何千回もこの詩をコピーしてシェアしていた。詩の削除はさらなる関心を生み、朗読動画は何十万回も再生された。この詩は親軍派チャンネルにとっても好都合なもので、彼らは喜んでこの詩を自らのプラットフォームでシェアした。
『ママヌジー(Ma Ma Nu Gyi)へ』は抵抗派のSNS上で2つの異なる反応を受けた。 ある者は、NUGが名目上率いる広範な抵抗運動に関する重要な話題にあえて触れ、好ましくない話題を告発したことを称賛した。 また、この詩人が嘘を捏造し、革命を邪魔していると非難し、この詩に「いいね!」を押したり、シェアしたりしたらアンフォローすると脅す者もいた。
ある批評家は、この詩はNUGを批判しているのではなく、むしろ懇願しているのだと擁護し、NUGの改革を支持する革命家たちの間で支持を得ていると指摘した。 しかし、その批評家はまた、この詩は "非暴力的活動家、穏健革命家、紛争の緩和と内戦の政治的解決を求める外国政府、軍政擁護者とロビイスト "の好みに合っているとも述べた。 そして、紛争や現地の厄介な状況を冷静に描くことは、軍政の恐怖支配を長引かせるだけだと警告した。
この批評を踏まえて、別の批評家は、この詩は軍政に利用されており、NUGの業績には触れず、政策提言もしていないと述べ、詩人に革命家としての資質を明らかにするために”明確な」続編を書くよう求めた。別の批評家は、この詩はアニャーの混沌とした状況と、軍政と戦っている少数民族武装勢力(EAO)の結束力を対比させているとみなした。
この分裂した反応は、さまざまな革命組織間の小さな亀裂を露呈している。この詩は、革命勢力の理想主義的で進歩的な”一派”の共感を呼んだ。彼らにとって、内戦に勝つことは、どのように勝つかと同じくらい重要だ。彼らは、EAOと並んでNUGやPDFを含む革命勢力が、高い基準の説明責任を負わされ、虐待の申し立てや不十分なパフォーマンスが非難されることを好む。彼らは革命が勝利することを望んでいるが、民主主義の理想にも忠実でありたいと望んでいる。長い間人気のある反体制的な詩を発表してきた、真の抵抗派詩人が詩を削除しなければならなかったという事実は、革命全体が重要な部分を失ってしまう危険性があるという彼らの主張を印象づけた。
この一派は常に少数派であり、”疑う余地のない支持”という好戦的なスタンスが長い間革命勢力の支配的状況だった。過激派のインフルエンサーや、事実上のプロパガンダの役割を果たすニュースプラットフォームによって結集されたこの”ブロック”は、NUG、PDF、およびそれを支持するEAO を過度に擁護し、そのような組織に対して疑問や疑惑を呈する革命運動のページや活動家、仲間の支持者たちに、大義に対する裏切り者というレッテルを貼るほどである。彼らは、いかなる手段を使っても軍政を打倒することが他のすべての考慮事項に優先すると信じており、不満を表明することは軍政を利すると主張する。そして革命運動に対する批判に関しては、完全に否定するか、政権崩壊後に取り上げられるべきだと主張する。
厄介な現実
この詩には、ドライゾーンで展開されている厄介な現実と、NUG改革への高まる要求が凝縮されている。 途方もなく高い期待、毎年の「年内勝利」宣言、そしてこの詩で言及されている3つの要因が相まって、軍政が弱体化する中でもNUGへの幻滅を助長しているのだ。その3つの要因とは、さまざまな革命勢力間の軋轢と衝突、PDFやPa-Ah-Phaによる絶え間ない虐待疑惑、彼らの検問所に対する憤りの高まり、そして、遠く離れた抵抗組織による楽観的な宣言が、現地の生活実態と合致しなくなってきているという認識である。
NUGは依然として人気があるが、革命運動の指導者、活動家、批評家たちは、NUGと関連組織の改革を求めている。 彼らは、改革に失敗すれば、ドライゾーンや国全体の革命の行方を危うくする危険があると警告している。 学生組合や若者組織も、風刺の効いたタンヤットの政治寸劇でNUGの欠点を指摘し、変革を促している。はっきりさせておきたいのは、NUGが軍政に対する革命勢力を結集するために大きな前進を遂げる一方で、ドライゾーンで虐殺と火刑を繰り返してきたのは軍政の決死隊だということだ。 さらに、アニャーにある多くの組織はNUGの統制の及ばないところで活動しており、EAOや大規模なPDFのようなもっとも効果的な組織、ますます独自の目標を追求している。 MUGもまた、国防省が苦情受付窓口を設置するなど、PDF部隊に対する疑惑の解決に取り組んでいる。
しかし、NUGが革命の最高組織と位置づけられ、アニャーがNUGの主要活動地域と見なされていることを考えると、さまざまな欠点や疑惑がNUGに転嫁されるのは避けられないだろう。しかしこの詩にあるように、銃を持った人に対する恐怖心と革命勢力は国軍と同じくらい虐待的になりえるというNUGの両面主義が、人々の間に根づき始めている。 このような問題や分裂が解決されないままであれば、長期的には革命やNUGにとって良い結果をもたらさないだろう。ミャンマーのSNSはすぐに新しい話題に移り、件の詩人は国軍から逃れる市民をより感情的に描いた新しい作品を書いた。 『ママヌジー(Ma Ma Nu Gyi)へ』は、一部の人々にとってはコップの中の嵐だったかもしれないが、この詩は、ミャンマー中央部のドライゾーンで展開されている無政府状態を垣間見させ、NUG改革の必要性を思い起こさせた。
アニャーの無政府状態: ミャンマードライゾーンにおける厄介な革命
16歳の青年の死
ザガイン地方域ウェトレット(Wetlet)郡区にあるサインナイジー(Saing Nai Gyi )村は、ドライゾーン(アニャー)の歴史的中心部に位置する。 この村は、ミャンマー最古の都市国家遺跡の1つで、ユネスコ世界遺産であるハンリン(Hanlin)から西へ15km、植民地時代以前のコンバウン王朝の発祥地であり最初の首都であったシュウェボー(Shwebo)から南へ12kmのところにある。
現在、この村はNUGの草の根組織・パ・トン・ローン(「3つのパ」)の地方組織(人民行政チーム(Pa-Ah-Pha、PAT)、人民保安チーム(Pa-La-Pha、PST)、補助人民防衛チーム(Pa-Ka-Pha、PDT))によって管理されている。
7月8日、村は悲惨な殺人事件に衝撃を受けた。 反体制のウェトレット郡区学生同盟のメンバーである16歳のミンミャッウー(Myint Myat Oo)が、帰宅途中に喉を切られ、ボロボロの遺体で発見されたのだ。 全ビルマ学生組合連盟(ABFSU)はNUGにこの事件の調査を要求し、その後、NUGの内務・移民省は調査すると発表した。
ABFSUは、この殺人事件に関して明確に誰かを非難したわけではないが、ウェットレットPATが学生組合員を標的にしていると非難し、その "権威主義的なやり方 "を非難した。 ABFSUのメンバーは、ウェトレットPATが音響手榴弾を使って学生の抗議活動を鎮圧し、ドローンを飛ばした学生を撃つと脅迫したと語った。 ABFSUの現議長は、革命勢力が支配する地域では「記録に残らない多くの民間人の死」があり、NUGはPATの”暴力的行為”に対する苦情を「繰り返し無視している」と述べた。 彼の前任者は、PATとPSTが”アニャー全土”で超法規的殺人を行っているという数多くの申し立てがあったと付け加えた。 これらに加え、サインナイジーPSTは、ミンミャッウーの殺人について自白を強要している最中に、ある村人を殺害したと報告されている。
詩
この10代の死は、抵抗派の詩人がアニャーの破壊を嘆く詩を発表してから6週間後に起きた。 この詩はまた、NUGが武装化したパ・トン・ローンやPDFのような革命組織がアニャーの市民を”抑圧”していると主張し、NUGに問題に対処するよう懇願している。この詩は、アニャーにおける革命勢力の支配の厄介な現実を暗示する3つの要因、すなわち、さまざまな組織間の軋轢と派閥争い、革命勢力の検問所に対する憤りとともに、パ・トン・ローンやPDFの組織に対する虐待疑惑、そして、遠く離れた革命勢力支持派の声による歓喜の宣言が、現地の生々しい現実と合致しなくなっているという認識を暗示していた。
この詩は、活動家、ジャーナリスト、一部のネットユーザー、そして親軍派のプラットフォームの間で支持を集めた。 また、この詩をNUGに対する中傷として否定し、そのような問題は存在しないか、あるいは孤立的な歯がゆさの表れであると反論する者もいた。 しかし、連日報道される軍政による残虐行為の裏には、この詩の主張の信憑性を高めるような苦情が絶え間なく垂れ流されているのだ。
文脈として、アニャーはビルマ族が多数派を占める地域であり、実質的なEAOが存在しないため、NUGの主要な活動地域とみなされている。 クーデター後の抗議行動とそれに続く武装闘争のボトムアップ的進化を反映して、何百もの反体制組織からなる目の眩むようなモザイクが出現している。
NUG国防省(NUG-MOD)によれば、300を超えるPDF”大隊”と250を超える郡区を拠点とする組織があり、その大部分はドライゾーン中央部で活動している。 また別の集計によれば、アニャーを構成する3つの地域には、およそ150のPDFが活動していると推定されている。 これらの組織の規模、能力、活動、独立性はさまざまである。 大半は独自に立ち上がり、現在、NUGは、自らの指揮系統下に彼らをまとめようとしている。 一方、パ・トン・ローンは、ビルマ族が多数を占める7つの地域、188の郡区に存在すると言われている。
軋轢と派閥主義
アニャーの革命勢力は多様な進化を遂げ、いくつかの地域は彼らの領地と化しつつある。 NUGに忠誠を誓っているか、あるいは書類上NUGの指揮系統下にあるPDFは、必ずしもNUGの支配下にあるとは限らず、実際は指揮系統は存在しないと主張する論者もいる。 このことは、優先順位や個人的忠誠心の違いによって対立する革命組織間のいさかい、乱闘、衝突、銃撃戦、競合する拘束、縄張り争い、処刑という形で現れている。 同様の事件は、ミャンマー深南部のPDF間でも起きている。
NUG系PDF、パ・トン・ローン、独立地方防衛隊(LDF)または地方PDF(LPDF)の間や内部でも、軋轢や衝突が報告されている。 一部のNUG系PDFやパ・トン・ローンは、独立系組織の活動を縮小させたり、強制的に追放したり武装解除すると脅迫したりするなど、嫌がらせをしていると非難されている。 マグウェイのあるジャーナリストは、一部の組織は "軍閥主義 "に転じたと語った。 NUG支持者たちは、NUGの指揮系統の下に入ることによってのみ、組織は正統性を獲得し、国民の幅広い支持を得られると主張している。 地元の組織は、クーデター当初から、自分たちで集められる資源はなんでも使い、多大な個人的犠牲を払って軍政に抵抗してきたのだから、従属者ではなくパートナーとして見られるべきだと反論している。
NUG国務省は、最前線のPDFに対するより大きな権限をPDTに委ねたと伝えられている。 このことは、PDTがしばしば経験の浅い事務屋や、能力よりも忠誠心にもとづいて遠くから任命された人々とみなされ、緊張を助長している。 そのうえ、活動家たちは、NUG幹部が自分たちだけに忠誠を誓う個人的な”ポケット・アーミー”を保持していると主張している。 ある司令官は、アニャーに暫定革命政府がないのは、派閥主義と縁故主義が蔓延しているためだと述べ、NUG系放送局は、派閥主義は、主にSNSに根拠のない攻撃的な投稿をして寄付を募ることにしか関心がない組織によって引き起こされていると主張している。
頻繁に起こる摩擦の原因は、NUG系組織とビルマ国民革命軍(BNRA、旧ミャンマー・ロイヤル・ドラゴン)との間のものである。BNRAはボーナガーが率い、ザガイン地方域のペール郡区を拠点とする3000人規模の独立組織である。 SNS上に強力な支持者を持つこの雄弁な司令官は、ビデオチャットを通じて、NUG国務省が「軍政と同じように行動」し、指揮系統下の部下たちによる虐待に目をつぶっていると非難している。 彼はまた、NUG系組織が彼の地位を貶めるためにBNRAの超法規的殺害を頻繁に非難していると述べ、地元のパ・トン・ローン当局が「団結を育む」ための彼の努力を「一貫して無視している」と主張した。 最近の事件では、ペール郡区のPAT幹部が同僚を拉致した容疑でBNRAのある司令官を拘束したが、拉致被害者の死体はPAT幹部の地下室で発見された。 その後、PATがその人物は自然死であると主張したため、村民は抗議した。
NUG支持者たちは、BNRAは親軍派を選択的に攻撃しているだけだと反論する。 それどころか、BNRAはボーナガーの個人的な権力のための手段になっているとも。 ペールに拠点を置くNUGと同盟を結ぶある司令官は、「人々を脅かす集団は革命を妨げるものであり、軍政と同じように反対しなければならない」と曖昧な表現で述べた。 昨年8月、ボーナガーはまた、NUGの支援の欠如をめぐって、非常に人気のあるNUG所属の過激派インフルエンサーとネット上で公然と大喧嘩をし、それぞれの支持者たちが熱心に炎上を煽っった。 NUGとBNRAの抗争はSNS上の人気コンテンツである。
虐待疑惑
このような緊張と衝突は革命勢力支持者にとっては失望の種だが、より大きく、より深刻な問題は、詩にあったNUGに対する主な不満と同様に、パ・トン・ローンとPDFに対する一連の虐待疑惑である。 アニャーの問題は、今や”パ・トン・ローン問題”という言葉が、地元の活動家、ニュースページ、村民の間で、構成組織に対するあらゆる不満の総称として使われるまでになった。 この問題は、国民統一顧問評議会(NUCC)の第2回人民会議でも重要な論点となったが、NUGとその立法部門がこの問題をめぐって議会最終日をボイコットしたと伝えられており、微妙な話題となっている。
もっとも有名な虐待事件は、2022年8月にチャウンユー( Chaung-U)PDTのメンバーが7人の若者をレイプし処刑したこ事件である。 別の部隊は、虐待と処刑を繰り返したことで有名になった。 7月、ザガイン地方域のマハーミャイン(Maharmyaing)の森で、トラック運転手200人が、自分たちを拘束し人間の盾として使ったとしてPDFに抗議した後、乱闘が勃発した。 その後、PDFは何人かの運転手を逮捕し、地雷原の上を歩かせると脅迫したと伝えられている。
その他の疑惑には、脅迫、抗議者の強制解散と逮捕、身体的暴力、強制献金、性的虐待、拷問、尋問中の死亡、超法規的殺人が含まれる。 時には、これらの事件は、ネットユーザーが額面通りに主張を受け入れ、祝福することで、軍政の標的への攻撃として隠蔽される。 企業からは、身代金を要求する組織や、警護費として高額な金額を要求する組織があり、支払わない者は軍政支持者のレッテルを貼られると苦情が寄せられている。 また、あるコメンテーターは、パ・トン・ローン問題が蔓延しているのは課税の機会と結びついており、特定の団体が収入を掠めとり、数字を改ざんしていると述べた。 パ・トン・ローンやその支援団体は、兵器の密輸業者と結託して利益を得ているとも非難されている。 ミャンマー南部のPDFも同様の行為で告発されている。
特に苛立たしいのは、「12インチは1フィート、3フィートは1ゲート」という韻文が嘲笑するのに使われるほど、革命勢力が管理する検問所の急増である。 これらの検問所はしばしば別々の組織によって管理されており、村によっては複数の検問所があると言われている。 通行料は約5,000ks(1ドル)から、状況によっては数百万ksに上ると言われている。 各組織は、民間人に課税しないようにというNUGの命令を無視する傾向があり、十分な資金を得られていないと主張している。 村人たちは、違法伐採、金採掘、木炭生産を警護する一方で、そのような検問所で一般市民から搾取している組織もあると反論する。 さらに検問所が食糧供給をネコババしていると主張する者もおり、軍政側の略奪的な検問所と相まって、アニャールの物価はさらに高騰している。
村人たちはまた、課税、恣意的な拘留、不透明性、汚職などの問題でパ・トン・ローンに抗議し、改革を要求するようになっている。 こうした不満に加え、PDFが捕虜や公務員を斬首したという事件が少なくとも1件記録されている。 親軍派のテレグラム・チャンネルは、PDFによる民間人の処刑と称するビデオを散発的に投稿しているが、確認することは不可能である。 PDFはまた、公務員、僧侶、旅客バス、マイクロファイナンス労働者を標的にして拉致し、軍政の規則に従う企業を脅迫し、親軍派の村や情報提供者とされる人々(ダラン)を攻撃する際には、女性、子ども、家族を標的にするという軍政の戦術を模倣しているようである。
厄介な現実
現地の状況を悲しむ一方で、例の詩は"遠く離れた安全な場所から喧伝する傭兵ロビイストたち "を非難している。 この詩は、軍政に対する普遍的な反感があるにもかかわらず、SNSで支配的なロマンチックな紛争の描写や、安全圏から紡ぎ出される高揚した語りは、戦争の厄介な現実を反映していないという感情に訴えかけている。
インフルエンサーたちが紛争を美化する熱狂的な投稿をする一方で、抗議者たちは”もっと戦争を祈る”。 勝利が目前に迫っていることを常に約束する彼らは、都市部での戦いを "町を売り払う "として祝福する紛争のチアリーダーとなる。 また、ミャンマーの人道支援に必要な資金が常に不足しているにもかかわらず、戦後の復興活動に資金を投入するために国際的な支援者が待ち構えていると主張する者もいる。
反軍政のネットユーザーたちもまた、反軍政派を非常に擁護する傾向があり、疑惑を否定したり、"理解 "を求めたりする。 彼らは、戦闘が自分たちの町にまで及んだら、革命勢力を受け入れるのを「待ちきれない」と主張する一方で、紛争に消極的な年長者を”ゲン・リー”(「ペニス世代」の意)と非難する。 中には究極の犠牲を払う用意があると断言し、革命のためにすべてを賭けるよう仲間に勧める者さえいる。 多くの場合、このような声は安全なヤンゴンや海外から発せられ、そのレトリックがもたらす影響はほとんどない。
人気や影響力のあるニュースチャンネルは、事実上のプロパガンダのプラットフォームとして、単純化した報道を行い、不都合な問題を曖昧に濁し、有害なメディア空間を醸成している。 あるコメンテーターは、「一部の虐待は革命に害を及ぼす可能性があるため、公表するに値しない」と述べた。 あるPST関係者によれば、パ・トン・ローンの虐待の3分の2は報告されておらず、それは村人がダランのレッテルを貼られることを恐れて自己検閲しているためで、しばしば襲撃や強制失踪につながるという。 シュウェボー、モンユワ、パコックの情報筋は、メディアで多くの虐待の苦情を訴えることは効果がなく、危険であるため、地元コミュニティはあきらめていると筆者に語った。
このような自己検閲、超党派的なメディア状況、過激なインフルエンサーによって、前述の疑惑は氷山の一角にすぎない可能性が高い。
今後の展開
革命勢力に向けられた疑惑の範囲と規模は、国軍に対する山のような非難に比べれば、非常に小さいことを強調することが重要である。 この詩は、革命勢力を一掃しようとする軍政の堕落ぶりと無慈悲さを鮮明に描き出している。 そして、誰も立場を変える話はしておらず、コミュニティは依然としてNUGに不満に対処するよう懇願している。
最近の出来事によって、パ・トン・ローン問題は注目されなくなったが、問題はまだ続いている。 地元の革命勢力関係者は、パ・トン・ローン問題がほとんどの郡区に広がっていることを認めており、彼らは今やほとんどの村で広く嫌われているという。 あるPDFメンバーは、恐怖に怯えた村民が寄付を拒むようになったため、配給を購入せざるをえなくなった組織もあると語った。
ある重用な抵抗運動指導者は、最近、パ・トン・ローン問題が悪化していると述べ、NUGに対し、この問題に早急に対処しなければ国民の支持を失う恐れがあると訴えた。 これは他の活動家や地元メディアも同じことを述べている。 あるザガインのコメンテーターは、問題への対処にはせいぜい1年はかかるだろうが、これを怠れば同じ期間の内に壊滅的な結果を招くだろう、と述べた。 NUGが "ズームトピア "から抜け出せず、疑惑への対応が遅いという感情とあいまり、虐待は "両面主義 "の認識を煽っている。
ある意味では、アニャーの混乱した状況を完全に否定的に見るべきではない。 それは、この国のボトムアップの有機的な革命の現れであり、村人たちの抗議行動は、地域社会が依然として民主主義の理想を守ろうとしていることを示している。 しかし、混乱の中で、一部のネットユーザーやコメンテーターは、EAO、特に三兄弟同盟を模範として取りあげ、彼らの「決断力」と民族社会の「従順さ」を称賛している。 しかし、こうした蔑称や選りすぐりの賞賛は、多くの主要なEAOが領土を拡大するにつれて、権威主義的、敵対的、説明責任を果たさない振る舞いを見せるようになってきたという事実を無視している。
革命勢力支持者たちは、前進する唯一の道は、承認と支援を通じてNUGを強化することだと主張する。 彼らは、軍政に対してだけでなく、強力なEAOや独立組織に対してもNUGの能力を向上させることにによって、武装革命が民主的で包括的な理想に忠実であることを保証されると主張している。
NUGの側からは、いくつかの進展が報告されている。 苦情の調査を開始し、3つの苦情委員会を設置した。 4月、NUGの内務大臣は、手に負えない武装勢力を取り締まると同時に、摩擦や虐待を解決するための指導メカニズムを確立することを約束した。 NUG関係者はまた、指揮系統と調整メカニズムの強化を約束し、そのような努力の証として最近の戦場での活躍を指摘している。
完璧な革命はない。 ミンミャッウーのような人々の家族やサインナイジーのようなアニャーのコミュニティにとって、革命勢力の勝利が民主主義、説明責任、正義の勝利につながるかどうかはまだわからない。
以上。