55歳 母の話を聴いてくれる人たち
母がヘルパーさんと関わりながら元気になっていくのを見ると、人は誰かと会話したり、一緒に時を過ごすことがいかに重要なことかを痛感した。
私が実家に行くのは月に1回程度で、一緒に外食したり近況を話したりはするが心配させるような話はできないし、何よりヘルパーさんのようにいつも優しく接することも難しい。いくら仕事とはいえ、わがままな母の相手をしてくれるヘルパーさんは本当にありがたかった。
ヘルパーさんは雨の日も風の日も交通量の多い大通りを自転車で20分も走って来てくれた。「もっと来てくれたらいいのに」という母の言葉にさらに回数を増やし、午前の日と午後の日を交互に入れて毎日誰かに来てもらうようにした。介護1の利用範囲を超える分は母個人の負担となるが、それでもいいと母は喜んでくれた。
支援の様子は細かく日誌に書いてあるので、母の体調のことから買い物、作った料理まで私にもよくわかった。
傾聴ボランティアの話もヘルパーさんから提案された。
月に2回、母と話をするために来てくれる傾聴ボランティアも早速手配してもらった。好き嫌いの激しい母が気に入るか心配だったが、さすがに傾聴ボランティアの方だけあって、とても穏やかな優しい雰囲気の人だった。世間話や家族のことなど気を遣うことなく何でも話せて、さらに守秘義務があるので母との会話は一切外に漏れることはない。また、母が話すだけでなく、その人の話が聴けるのも楽しそうだった。これも回数を増やしたいと母は言ったが、自治体の運営するボランティアなのでそれは無理だった。
そんな母にとってうれしい訪問客があった。それは宗教の人で、聖書について一緒に学びませんか、というものだった。その言葉の通りに一緒に聖書を読み、書かれていることを自分の生活と関連付けて考えるというものだった。私も昔、彼らと聖書について学んだので心配はしなかった。
私が知っている限りでは、母が本を読む姿を見たことはないが、毎週訪問者と一緒に聖書を読むことが楽しそうだった。母は聖書を読みながらすべてに鉛筆で線を引いていくので、どこまで読んだのか私にもよくわかった。母が使っている聖書はA4ほどの大きさで厚さは約5cmもあり、もちろん文字も大きい。キリスト教の教えが母に合ったのかどうかはわからないが、かなり熱心に勉強していた。集会などにも何度か参加したようだったが、私同様信仰までには至らなかった。毎週同じ日に来てくれるので、母にとっては傾聴ボランティアのようなものだったのだろう。
人とのかかわりを通じて元気になっていく母に会うのが楽しみになった。
こうして母は新たな人との出会いの中で残りの人生を歩んでいくのだった。