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小2 やさしい手紙が悲しかった

私は小さいころから肌が弱く、腕の内側と足の膝の後ろは、いつも湿疹でぐちゅぐちゅしていた。

肌は良くなったり悪くなったりの繰り返しで、皮膚がツルツルになることは一生ないだろうと思っていた。湿疹だけでなく、花粉症もひどかった。しかし、当時は花粉症という言葉はなく(慢性鼻炎かもしれないが)、いつも鼻が詰まっていて一日に何度も鼻をかんでいた。

また、春と秋には草にもかぶれ、顔が真っ赤に晴れ上がって目は一重になり、まるで四谷怪談に出てくるお岩さんのようだった。顔は腫れがひけるまで約一週間学校を休んだ。毎年春と秋の恒例行事だった。

父も昔アレルギーがひどかったようで、腕に残るやけどような湿疹の跡は、それをよく物語っている。何十年経ってもくっきりと残ってしまうとは相当重症だったのだろう。私もあんな風になるんだろうなと思った。

それとはまったく正反対に、母の肌は白くツルツルできれいだった。何に触ってもかぶれることもなく、かゆみとは無縁だった。

「掻くから良くならないのよ」などと母は簡単に言ってくれる。さらに、
「私は何もないのに、お父さんが湿疹だったから、それが遺伝しちゃったのね。まったくこまったもんだわ」と、父が悪いみたいな言い方を平気でした。それに、母は一度も困ってなどいないのだ。困ったのは父であり私なのだ。

小学校二年生の一学期が終わるころ、私たち一家は江戸川区から千葉県の船橋市に引っ越すことになった。両親が二階建ての一軒家を建てたのだ。

私は小学校を転校することになったが、小学五年生の姉は転校せず学校はそのまま電車で通うことになった。私は友達と別れることに寂しいという気持ちはなかった。元々知らないところに行くのが好きな子どもだったからか、新しい土地への期待の方が強かった。

夏休みに合わせて引っ越しをして間もなく、同級生全員からのメッセージが書かれた手紙が届いた。

どんなことが書いてあるのかちょっとワクワクした。

「・・・早く湿疹が治りますように」
・・・・・
「・・・元気でね」
「・・・病気が良くなりますように」
・・・・・
「・・・湿疹が治るといいですね」
・・・・・
「・・・肌が早くきれいになりますように」
・・・・・
「・・・私たちのこと忘れないでね」

目から涙がどんどん流れて、読めなくなった。
パラパラとめくっても、どれも同じようなことが書いてあった。

もう読むのをやめた。

そして、全部袋に戻して母にわからないように捨てた。

まさか湿疹のことが書いてあるなんて思わなかった。
湿疹には触れてほしくなかった。

知っていても知らんぷりしていてほしかった。

だって、一番困っているのは私だから、そんなことを言葉にして書いてほしくなかった。

一瞬にして友達の顔が私の頭の中から消えていった。

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