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52歳 オーストラリアで気づいたこと

娘の留学先はでオーストラリアのブリスベンとなった。
 
娘はベルギーの現地校に小学5年生まで通っていたのでフランス語の読み書きはできた。だからアルファベットには慣れていたが、初めての英語には変わりなく、私が思うほどすんなりとできたわけではないと後で知った。
 
しかし、娘に言わせると英語は簡単だという。女性名詞も男性名詞もないし、主語によって変わる動詞の形は2つしかない。フランス語では私、君、彼、私たち、あなたたち、彼ら、といった主語によって動詞の形を変えなくてはいけない。また、フランス語は発音が同じでもスペルが違ったりするので覚えるのは厄介だ。私にとってはどれも難しく、それを比べても英語が簡単などと思ったことはないが。
 
オーストラリアへ娘が行った後は週に一度スカイプで話をした。日本との時差が1時間しかないので、時間が許す限り話せる。
 
ブリスベンにはベルギーのようにいろいろな国の人が住んでいることや、それに関係してあらゆる国の料理が食べられることなど興味深い話が聞けた。英語の勉強も大変そうだが、なによりも娘が生き生きしていた。
 
話を聞いているうちに私も一度オーストラリアに行ってみたくなった。
その頃、娘は広いアパートを友人と2人で借りていたので、そこに滞在させてもらえれば、そんなにお金はかからない。8月の南半球は真冬だが日本の冬ほど気温は低くはないとのことで、夏休みを利用して行くことにした。

 
娘の言った通り、ブリスベンには様々な人種の人がいた。特に顔つきからしてアジア人が多かったが、どこの国かはまったくわからない。アジア人向けの店もたくさんあり、看板の文字も見たことがないようなものもあった。
 
英語が共通語として役に立つことがようやく実感できた。英語は英語圏の人とコミュニケーションするためだけでなく、少数派の言語を話す国の人にとっての重要なコミュニケーションスキルなのだ。
 
せっかく3週間も滞在するので、1週間だけ英会話スクールに通うことにした。スクールは月曜日が始まりで週単位で学べるようになっていた。初日の朝に筆記と面接の試験があり、その点数でクラスが決まる。
 
私の入ったクラスには日本人の男子高校生が1人、ブラジル人女性が7人、韓国人女性が1人いた。クラスのレベルは下から3番目だった。
 
ブラジル人はいつも賑やかで、分からなくなるとすぐにポルトガル語でガヤガヤと話し始めるので先生にいつも怒られていた。私は男子高校生と仲良くなり、知らない単語があるとこっそり彼に聞いたので先生には気づかれなかった。昼食の時間になるとブラジル人は持参したお弁当をレンジで温め、外食はしなかった。私も持参したサンドイッチを食べながら、彼らとつたないスペイン語で話した。英語よりはましだし、ポルトガル語に似ている言葉もたくさんあるので彼らが理解してくれた。
 
ブラジルとオーストラリアは共に南半球で気候が似ているので違和感なく過ごせるのだそうだ。比較的治安もいいし、ブラジル人にとって英語を学ぶのにはちょうどいい国だと言っていた。
 
それにオーストラリア人のおおらかさもあるだろう。知らない者同士でも道で会えば挨拶するし、なぜかスーパーマーケットに裸足で来ている人を見かける。最初は驚いたが、裸足でも何も問題はない。様々な人種の人が暮らしているということが寛容さを象徴しているのではないだろうか。
 
バスに乗ると高校生が次々と運転手にハローとあいさつする。私はその光景を見て慌ててハローと言った次第だ。
 
英会話スクールのおかげで、私は前よりは英語に対する恐怖心は少なくなった。それも現地の人が私の英語を理解しようとしてくれるからなのだが。
 
冬だというのに太陽がサンサンと輝くオーストラリアはどこか私が住む町に似ていた。しかし、初日から外の光に何か違和感があった。

日本では家は日当たりのいい南向きに建てる。だから南側の窓に立つと、太陽は左から右に向かっていく。しかし、オーストラリアでは何か違う感じだ。太陽が右から左に向かっているようだ。娘にどっちが北なのかと尋ねても知らないという。あれこれ考えているうちに、ついに謎が解けた。

南半球では赤道が北の方角にあるから、太陽は東から北へ行き、その後西へ動く。だから、太陽の光を求めて家が北向きに建っている。

ようやく解明して喜んで娘に話したが、「それがどうしたの」とあっさり言われてしまった。
 
これはとても大事なことなんですよ。


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