29歳 南回りでヨーロッパへ
ヨーロッパに飛行機で行くのに、北回りと南回りがあった。(今も復活)
1994年までソビエト連邦(ロシア)の上空を飛ぶことは許されなかった。だから、北回りと南回りのどちらかを選ぶしか方法はなかった。
北回りはアメリカのアラスカにあるアンカレッジ空港を経由していく方法で、南回りはアジアや中東などを経由していく方法だ。
昔の南回りはいくつもの国を経由するので目的地到着まで時間がかかるが安かった。スペインでの生活費を少しでも多く残したかったので、当然南回りのチケットを購入した。
貯金はそんなに貯まらなかったが、たくさんの人から餞別を頂いた。
お金になるものはないかと見回したが、そんなものは何一つ持っていない。
いや、一つだけあった。
バイオリンの弓だ。
引っ越しと勉強を機にバイオリンを弾くこともなくなっていた。また、いつか再開するかどうかもわからなかった。だからもういい弓はいらない。
7年ぶりにバイオリンの先生に電話して、弓を買ってほしいとお願いした。
「ああ、あの弓ですね、覚えていますよ。・・・それでは持ってきてください」と言った。
私は少しでもいい値がつくように、近所の時計店で弓に使われている金の部品をピカピカに磨いてもらった。
そして買った時と同じ36万円で買い取ってもらったのだった。
イタリアのローマまでの飛行機は5か所の経由だった。スペインに行くのになぜイタリア便なのかは覚えていないが、おそらくどこよりも安かったのだろう。
妊婦の私は飛行機が降りるたびに空港のトイレに行ったが、トイレットペーパーがあるのは数か所しかなかった。トイレの番人のような女性が入り口に立っていて、彼女にお金を払って少しのトイレットペーパーをもらうところもあった。私は手ぶらでトイレに行ったのでお金は持ってなく、両手を広げて困った顔をすると、彼女は私のお腹を見て微笑んでトイレットペーパーを渡してくれた。
南回りの飛行機で夫が残念がっていたことがあった。
経由する国はどこもイスラム教だったので、アルコールが飲めなかったのだ。空港でビールを一杯と楽しみにしていたのに、空港での待ち時間も長いうえに現地のお金でないと払えないところも多かった。
ローマに着いて1万円をリラ(当時のイタリア貨幣)に両替した後、バチカン絵画館を訪れ、私が模写したフラアンジェリコのテンペラ画と対面して、いい気分のままカフェで昼食を取った。
夫が支払いを済ませたが、戻ったお釣りがおかしかった。日本円でいうと本当はお釣りが7000円のところ2000円しか受け取っておらず、明らかに5000円足りなかったのだ。両替したばかりなのでこちらが間違えるはずがない。
ボーイは5000円しかもらっていないと言い張ったのである。
夫はすかさず「警察を呼んでくれ!」と言うと、ボーイはチッと舌を鳴らしてレジから5000円出したのだった。
そのことですっかりローマの印象が悪い方へと傾き、一刻も早くそこから離れたくなった。予定を早めてスペインのマドリッドへ飛行機で飛んだ。
安く済ませようと思って決めた南回りの飛行機は、最終的には北回りと変わらない金額になってしまったのだった。
目的地はまだ先だ。
現在はロシアのウクライナ侵攻で、どの飛行機もロシア上空は避けているため残念な南回りとなっている。