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29歳 セビリアのアパート探し

日本からいくつも飛行機を乗り継いでようやくマドリードに着いた。

地下鉄を降りた時、夫の肩バッグから水がたれているのに気がついた。
分厚い皮のバッグの脇が10cmほど切られていて、そこに入っていたペットボトルから水が漏れていたのだった。
地下鉄で誰かにやられたのだ。スリには十分気を付けていたつもりだったが、スペイン入国後いきなりやられてしまった。

切られたバッグの中には私たちの全財産の日本円が入っていたので、もしそっちのポケットにお金を入れていたら一文無しになるところだった。当時クレジットカードなるものは持っていなかった。

どっと汗が出た。妊娠7か月のお腹がカチンカチンに硬くなった。

急いでホテルに行き、私の腹帯に使っていたさらしの布を少し切って3つの袋を縫った。そこにお金を3等分して入れて、1つは私の腹帯に縫い付け、残りの2つは主人の下着のパンツの左右に縫い付けて、二重にパンツを履いてもらった。これでスリに襲われても大丈夫だ。

少しほっとしたが、それでも一刻も早くマドリードから離れたかった。列車に乗ってセビリアに向かった。高速鉄道もなく8時間ぐらいかかった。

・・・・・・

セビリアの町は思っていたのとは全然違い、かなりの都会だった。
旅のガイドブックで見たスペインの観光地のロバが頭にインプットされていたので、セビリアにロバが一頭もいないことにショックを受けた。後にそのことをセビリアの友人に話したら、ひどく怒られた。

1泊2000円ほどの安いホテルを探し、窓のない暑い部屋で濡れたタオルを体にあてながら、これからのことを考えた。
しかし、あまりの暑さにまったく眠れなくて、翌日はちょっと奮発して宿泊代を倍にして1泊だけエアコン付きのホテルに移動した。

ホテルの若い女性にカタコトで安いアパートの探し方を聞いた。
「カンバラーチェ」という地元の新聞に直接大家が投稿している物件がたくさんあるからそれで探すのがいい、と教えてくれた。一度不動産屋を訪ねたが、私たちの予算を大幅に超える物件しかなかったので、その女性の言葉を信じて朝一番の6時にキオスク(売店)で新聞と町の地図を買った。

見つけた物件は町の中心から少し離れるが、家具付きで台所と居間と2つの寝室で37000円ほどのかなり安いアパートだった。不動産屋にはない物件だ。

早速その物件の持ち主に電話をすると、出たのはご婦人だった。
私たちは日本人だと言うと、カタコトの会話にもやさしく応対してくれて、翌日、部屋を見せてくれることになった。
アパートのある「ミラフローレス通り43番地」で待ち合わせをした。

私たちは日本にいた時に、家に仲間を集めてスペイン語勉強会を週1で開いていた。誰もスペイン語が分からないから、NHKラジオのスペイン語講座のテキストを買ってみんなで勉強した。だから、数字と簡単な会話は少しできるようになった。

大通りからタクシーをひろって、「ミラフローレス43番地」と告げた。
走ること約15分、ミラフローレスに着いたが43番地がない、運転手はぐるりと回ってゆっくり走りながら探してくれるが、その番地はなかった。

おかしい、ないはずはない。
「本当にミラフローレスなの?」と運転手が聞いた。
「はい」
「おかしいなあ、もう一度回ってみよう」と言って何度も引き返した。
「んー・・・ミラフローレス広場だよね?」
「え?・・・ミラフローレス通りです」
「なんだぁ、それじゃ無いわけだ。ずっと手前だよ」と言って、広場からまっすぐ伸びるミラフローレス通りを走った。

43番地に近づくころには、もう1時間も約束の時間を過ぎていた。遠くから夫人の姿が見えた。こんなに待たせてしまったから多少気に入らない部屋でも借りようね、と夫と話していた。カタコトのスペイン語で道を間違えて遅れたことを精一杯わびた。

夫人は以前日本人に部屋を貸したことがあり、その日本人がとてもいい人だったそうで、その人のおかげで日本人にはとても好感を持ってくれていた。私たちは部屋も設備も場所も、そして、夫人もとても感じがよく、そのアパートを借りることにした。

道に名前があって、番地さえ分かれば必ずそこにたどり着くというのは便利である。しかも、数字は道の左右で奇数と偶数に分かれている。セビリアには人が通れるぎりぎりの細い小道がいくつもあるが、そこにも必ず名前があるのだ。

日本もすべての道に名前があったらいいのにと思った。 
 

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