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27歳 軽井沢に何しに行くの?

結婚後、夫は外国語やギターを教え、私は絵を教えていた。
少しずつ生徒は増えていったが、それだけで生活するのはなかなか大変だった。
 
特に年末年始の長い休みは、時間はあるがお金がないという状態だった。
せっかくの長い時間を収入につなげる方法はないものかと思案していたところ、昔やった軽井沢でのアルバイトを思い出した。
 
軽井沢といっても草津に近い北軽井沢のホテルだ。当時は夏になるとたくさんの観光客が押し寄せて、旧軽井沢だけでなくさらに奥の北軽井沢も夏の避暑地としては人気だった。
 
高校生だった私は、アルバイトに来ている100名を超す大学生のまかないを現地の女性と2人で作っていた。高校を卒業した後も短期でアルバイトに行ったが、その頃はフロントや食事のサービス、部屋の掃除など何でもした。夏はプールに浮かぶアブの死骸を網ですくったり仕事はたくさんあった。
 
何年ぶりかで電話すると支配人も事務の女性も私のことを覚えてくれていて、仕事に慣れているからぜひ来てほしいと言ってくれた。夏のアルバイトはすぐに見つかるが、年末年始の期間はなかなか難しいと言っていた。
 
夫婦で仕事をすることを快く受け入れてくれたので、私たちは車で軽井沢に向かった。冬の軽井沢が寒いことは覚えていたが、予想を超えて温度計はマイナス20度だった。ホテルのフロントには暖炉があり、年末を静かなところで過ごしたい客で部屋は満室だった。支配人は私たち2人のために敷地内にある一軒家を貸してくれた。仕事はまかない付きなので寝るためだけに戻る場所だが、居心地は最高だった。
 
翌朝、窓の外を見ると、雪の上に形の違う動物の足跡がいくつもあった。何の動物なのかは私にはわからなかったが、おそらく夜の間に私たちの気配を伺いに来たのだろう。会ってみたいものだと思った。
 
ホテルでは厨房の料理人を入れるとスタッフは10名ほどいた。私たちは制服を着てスタッフに教えてもらいながら、にわかアルバイトに見られないよう演じた。
 
朝は6時からレストランの仕事に入る。
和食と洋食が日替わりになっているので、メニューを確認して、それぞれ必要なものをテーブルに用意する。食事の時間は2時間ぐらいあるので宿泊客は自分の好きな時間に食べに来る。私たちはそのタイミングを見計らって厨房スタッフに合図をする。和食は汁ものもご飯もおかずも同時に持っていくので一度で済むが、洋食は卵料理を目玉焼きかオムレツかお客に選択してもらうというこだわりのあるシェフだった。さらに食後のタイミングでコーヒーか紅茶を持っていくという手間もあり、けっこう神経を使う。
 
午前9時になるとフロントの仕事に移る。
チェックアウトが一段落すると、午後にやって来る宿泊客のための準備だ。
 
いわゆる部屋の清掃だ。
空いた部屋に掃除機をかけ、洗面台や浴室のアメニティをセットして、シーツや枕カバーを新しいものと交換する。ベッドのセッティングもきれいに早くが基本だ。いくつか和室もあって、布団をきれいに畳み、掃除機をかけ、ほこりがないかどうかをあちこち確認してから、お膳の上にお茶の用意をする。私たち夫婦の連携もなかなか良かった。
 
ここでちょっと休憩したいところだが、もう昼食の時間だ。再びレストランに戻って、テーブルの準備だ。昼食は普通のレストランになるので、外からの人も食事に来る。
 
午後2時には再びフロントに移動する。
チェックインの波が収まると、あとはスタッフに任せて、ようやくここで私たちは自由時間になる。といっても、その日初めての食事をしたら、夕食の準備まであと約3時間しかない。短期でやる仕事だから頑張れるが、これが毎日だったら体がもたないだろう。いや、気持ちが持たないといった方がいい。
 
レストランには忙しい時期だけ専門のサービスの人が2人来た。バンケ(バンケットスタッフ)というそうで、普段は東京の大きなホテルで働いているが大忙しの数日だけ来ていた。
 
夕方6時には夕食の準備に入る。
洋食の日はワイングラスやナイフやフォークなども並べなければならず、置き方が決まっていてなかなか難しかった。彼らはさすがにそのプロだけあって、2人で100人ぐらいサービスできそうな身のこなしだった。夕食はみんなゆっくりと時間をかけて食べるので、最後の客がレストランから出る頃は、もう時計の針が11時を過ぎていた。ここでようやく私たちの一日の仕事が終わる。
 
借りた一軒家に帰るともうぐったりで、お風呂に入った後は爆睡だ。
翌日、お風呂の水を抜くのを忘れたことに気が付いたが、やはり風呂の水はすべてカチンコチンに凍ってしまった。
 
こうして大忙しの年末年始のアルバイトも無事に終えて、私たちは大金(私にとっては)を手にして長い道のりを帰っていった。
 
年が明けてそれぞれの教室が始まり、
「年末はどこかに行かれたんですか?」と聞かれ、
「はい、軽井沢に行きました」と答えたが、
まさかあんな日々を送っていたとは誰も思わないだろう。
 
 
 

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