4歳 銭湯は裸の社交場だった
品川の家にはお風呂がなかった。
私が子供のころは、お風呂がない家は多かった。その代わり、銭湯はあちこちにあった。
洗面器に石鹸とシャンプーと手ぬぐいを入れて、替えの下着と共に風呂敷に包んで持っていく。洗う時は銭湯の洗面器を使い、ひっくり返してイスにも使った。家から持って行った洗面器は濡れた物を入れるために使っていた。今のようなビニール袋はなかった時代だ。
服を脱いで大きなカゴに入れると、銭湯の人がはしごに登ってカゴを棚に入れてくれる。壁一面が天井まで棚になっていて、高いところまで収納できるようになっている。
私は裸になって母の着替えを待ってから、後ろに続いて広い洗い場に入る。
カラン、カラーン、ザバー、ジャー、チャポン・・・
いろんな音が響いている。男湯から、
「もう出るぞー」という声がしたかと思うと
「先に出てるぞー」という声がしたり、銭湯の中は賑やかだった。
幼い子供は長くはいられない。
「もう出る」
「ちゃんと着替えるのよ」
「うん」と言って、母より先に出る。
銭湯の人にカゴを棚から下ろしてもらいパンツを履くが、まだ体が熱くて、そのまましばらく服は着ない。
ガラス戸がガラッと開いて、赤ちゃんを抱いたお母さんが、
「お願いします、そこの服です」と言って、ずらっと並んだ赤ちゃん用の着替え台を指さし、銭湯の人に赤ちゃんを手渡す。銭湯の人は手際よく赤ちゃんにベビーパウダーをつけて、おむつをして服を着せる。哺乳瓶に入った白湯を飲ませることもあった。
そんな様子を見ているうちに、母がお風呂から出てきた。
「まだ着替えてないの?」
「だって、暑いんだもん。喉乾いたなー」と言って、牛乳ケースに目を向ける。
「水飲みなさい」
「・・・・」
着替えが終わると、母は赤ちゃん用のベビーパウダーを姉と私の鼻筋につける。
なぜこうするのかわからないが、鼻に白く粉がついていると、お風呂上がりだということが分かる。
だから、帰りに誰かに会うと、
「あら、銭湯に行ってきたのね、さっぱりしたね」と必ず言われた。