19歳 取りあえず出来ると言おう
高校を卒業した後、仕事もしないで演劇を続けていた。
しかし、なんだかわけのわからないことをやってるという気持ちでいた。
踏ん切りをつけて、劇団を辞めた。
そして、きちんと会社に勤めることにした。
品川の職安(今で言うハローワーク)に足を運んだ。
当時19歳の若者には、たくさんの求人があった。私はこれといって秀でるものは何もなかったが、事務職を希望した。
棚に並ぶファイルの中に、五反田駅の近くの小さな会社を見つけた。外資系でマネージャーがアメリカ人のようで面白そうだと思った。その頃は町で外国人を見かけることは滅多になかったが、外資系の会社と言う言葉はよく耳にした。
職安の人が早速その会社と連絡を取り、2日後面接に行くことになった。
履歴書を用意して、少しきちんとした服を着ていった。きちんとと言ってもスーツではなく、柔らかい生地のブラウスとスカートだ。
面接官は2人で、背の高いアメリカ人のマネージャーとビジネスウーマンと言う感じの日本人女性だった。そのアメリカ人は日本語は少し話せるがあまり上手ではなかった。おもに女性が私に質問して、マネージャーが首を傾げた時だけ、なんとなく通訳していた。なんとなくというのは私にもわかる程度の通訳だったのだ。
「いくつか質問をさせてもらいます」
「はい」
「タイプライターは打てますか? 文章が打てるというのでなく、ローマ字を打つことができるか、と言うことです」
「はい、できます。練習すれば早く打てるようになると思います」
姉がビジネス系の専門学校に通っていたので、家で練習するために祖父からもらった古いタイプライターがあった。私も姉をまねてよく文字を打って遊んでいた。だから嘘ではない。
「そろばんはできますか? 掛け算や割り算ではなく足し算と引き算です」
「はい、できます。早くはできませんが」
かなりゆっくりならできるという意味で言った。これも嘘ではない。
「英語はどうですか?」
「中学の頃は英語が大好きで英検も3級まで取りましたが、高校に行ってからはあまり・・・」低いレベルだが、これも本当だ。
「大丈夫ですよ。社内で週に一回英会話教室があるので」
「そうですか、それはうれしいです」
ある程度の質問が終わって、面接官2人が別室でしばらく話し、再び部屋に入って来た。
「それでは、採用とします」と言って、握手を求められた。生まれて初めての握手に、なんだか少し大人になったような気分だった。
翌日から、家でタイプライターとそろばんの練習を始めた。
タイプライターを何に使うのかはわからなかったが、ローマ字が打てればいいということだったので、ひたすらキーを見ながら打ち続けた。
ジージージー、エフエフエフ・・・。
しかし、そろばんは大変だった。やり方は思い出したが、いつの間にか一桁ずれてしまったり、なかなかうまくいかなかった。その頃、勿論計算機はあったが、足し算はそろばんの方が早いという印象だったので、とにかく毎日練習した。
入社すると社員は10人ほどで、皆さん温かく迎え入れてくれた。
私の仕事は営業経理の仕事だった。仕事はいくつかあったが、そのうちの一つはテレックスだ。営業の人から回ってきた注文リストを、アメリカの本社にテレックスで送るための帯づくりだ。
テレックスとは、ファックスのようなものと言ったらいいか。
ローマ字や数字をタイプライターで打つと、機械から幅3センチほどの厚紙の帯がガッガッガッガという音を立てて出てくる。その厚紙に位置の違う穴がたくさん開いて、改行や空白なども穴で入力される。
注文リストを見ながらタイプライターで品番や数を打つのが私の仕事だ。
それが終わると、上司(面接のときの女性)がその帯の端を機械にセットして、国際電話をかけて通信ボタンを押す。すると、再びガッガッガッガッとすごい音を立てながら帯が動いていく。
それを受け取るアメリカ側には、紙に文字が印刷されて出てくるという仕組みがテレックスだ。帯をセットするだけなので海外にも瞬時に伝えられて、ファックスが生まれる前の機械とでも言うか。
当時はもちろんコンピュータもないしファックスもなかったから、国内でもテレックスは相当活躍したに違いない。
最初の面接のときに聞かれたタイプライター云々はこのことだったのだ。
練習の甲斐もあって、にわか仕込みには見えなかったようでひとまず安心。
フー、あぶなかった。
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