小1 水洗トイレはこわかった
私は子供のころ、自分の家以外のトイレで用を足すことができなかった。
品川の家も小岩の家も当時は汲み取り式で、きれいでも何でもなかったのに、なぜかよそのトイレでは出なかった。小さい方(小便)はなんとか頑張ってできたが、大きい方(大便)は全くできなかった。特にダメなのが水洗トイレだった。すぐ目の前に自分の排泄した物が見えるからなのか、なぜかわからないが水洗トイレはドアの中に入ることもできなかった。
家族で旅行などしたこともほとんどなかったが、たまに親戚の家に泊まりで出かけることがあった。藤沢の団地に住む叔母の家に行くのが一番嫌だった。そこは近代的な建物でトイレはきれいな水洗トイレだったからだ。
着いてしばらくすると、おしりをもじもじさせて
「早く帰ろうよ」と言って、いつも両親を困らせていた。
大きい方は我慢できるが、小さい方は我慢できない。仕方なく母と外に出て、草やぶの陰に隠れて用を足した。我ながら、一人でどこにでも行けるのに、トイレがダメとは情けないことだと子どもながらに思っていた。
ある時、家族で宝塚歌劇の舞台を見に行くことになった。私はトイレのことがあるから、ぜんぜん行きたくなかった。でも、私だけ家に残るわけにもいかず、イヤイヤながら出かけた。観客席は満員で席にたどり着くのも大変だった。
しばらくして、トイレに行きたくなった。
「お母さん、おしっこしたい」
「え? もう? ちょっとがまんしてて」
「・・・・もうがまんできないよ」
母と劇場のトイレに行った。
途中で席を外すことになって申し訳ない気持ちはあった。でも、出るものは止められない。劇場のトイレは水洗だったが、くさくて、かなり汚かった。でも、不思議と中に入ることもできたし、すんなりと用を足すことができた。
汚いところがダメと言うのなら理解できるが、きれいすぎてダメとは、自分のことながらなんとも理解に苦しむ。
いつのまにかどこのどんなトイレでも大丈夫になったが、私のような経験者に未だに会ったことはない。