小4 プロレスの本当のこと
小学四年生のころ、私はプロレスが大好きだった。
昭和四十年頃のテレビはもちろんブラウン管で、全体が丸くコロンとした形で、画面も角が曲線になっていた。チャンネルを変えるのは固いハンドルを回すタイプだったが、何度も回しているからユルユルになっていた。
夜、プロレスの時間になると、姉と私はテレビの前に座り、今日の対戦は誰とか、レフェリーは誰とか、始まる前から興奮していた。
当時、父は会社から帰っても、自宅の暗室に籠って翌日までに仕上げなければならない写真の仕事を請け負っていた。その内職があったから生活に余裕が持てたと母はよく言っていた。
そうはいっても、会社から帰って撮影して現像して、翌日の朝までに紙の写真に仕上げるのはとても手間のかかる作業なのだ。
簡単に説明すると、
写し終えたらカメラを光の入らない黒い袋に入れる。その袋に両手を入れて手探りでカメラの中のフィルムを取り出し、同じ袋に入っている別の容器の中にこれまた手探りで巻き付ける。とにかくフィルムに光が当たってはいけないのだ。
黒い袋からその容器を取り出すと、ふちに空いた穴に何かの液体を流し込む。そして、容器をカチャカチャとタテにヨコに振り続ける。しばらくたった後、中からフィルムを取り出して水で洗い、吊るして乾かす。
これでようやくフィルムの用意ができる。
フィルムが乾いた後は、暗室で印画紙に焼き付ける。器具にフィルムを挿み、上から光を当てて下の紙に焼き付けるのだ。この光をあてる時間を微妙に変えられるように、父は足でスイッチをオンオフできる装置を作った。
焼き付けた紙は真っ白だが現像液につけるとだんだん画像が浮かび上がって、ちょうどいいところで取り出して停止液につける。このタイミングが最も重要なところだ。ずっと現像液につけていると時間と共に印画紙がどんどん黒くなっていくからだ。その後、さらに定着液につけ、最後に水へとつける。ここまでくれば、あとは印画紙を乾燥させるだけである。
ラジオの野球中継を聞きながら、父は毎日の決まった作業を淡々と行っていた。そんな様子をそばで見ていたから、子供の私もしっかりと、現像→停止→定着→お水の手順を覚えてしまった。
暗室の扉をノックして「入っていい?」と父に聞いて「いいよ」と言われない限り、決して勝手に部屋を開けてはいけなかった。余計な光が入るとすべて写真がダメになってしまうからだ。
父は印画紙を水につけたところで一度手を休め、休憩をとった。
姉と私が奇声を上げてプロレスを見ている部屋に父が入ってきた。
一階は三畳の暗室とその隣に六畳間があるだけだった。その六畳間が居間であり両親の寝室でもあった。だから、うるさくて父も休憩どころではなかっただろう。
ある日、父は煙草を一服して、プロレスを見ている私たちに向かって、
「これはショーなんだよ」と言った。
「え? どういうこと?」
「楽しく見てもらうためのショーだよ」
「ショー?・・・じゃ、本当じゃないってこと?」
「そうだよ。本気であんな力で殴ったら、死んじゃうでしょ」
「え?・・・うん。・・・えー・・でも・・・」
「本当にショーなの? ・・・ショーなのかー・・・」
姉も私も何も言えなくなってしまった。
確かにレスラーは何度倒されても起き上がるし、もうだめか、と思っても最後のカウントで逆転したり、鉄の栓抜きで頭を叩かれて血をダラダラ流しても、平気な顔で飛び蹴りしたりする。極めつけはレフェリーだ。わざとらしく反則を見えないことにして知らんぷりしたり、カウントを数えるのを遅くしたり、明らかにどっちかの有利になるような振る舞いをする。子供ながらに、その行為に激しく抗議し、テレビに向かって罵声を浴びせていた。
でも・・・ショーなんて・・・
・・・だから面白かったのか・・・
その日を境に、姉と私のプロレス熱は一気に下がり、プロレスにはまったく興味がなくなり、テレビを見ながら奇声を上げることもなくなった。
もしかして、それを承知で父は私たちに話したのかもしれない。
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