38歳 私達だってアジア人は見分けがつかない
ベルギーの義務教育は2歳半の幼稚園から始まり、公立でも私立でも無料である。
住んでいる地域の学校でも親の職場の近くでも、どこに行かせるかは自由だ。空きがあって受け入れてくれればいい。我が家は家のすぐ近くに私立のカトリック系の学校があったのでそこに入れた。
しかし、ブリュッセルは少しややこしいいところがあって、公用語がフランス語とフラマン語(オランダ語)で、同じ言語の幼稚園に2年間通ったら、そのまま同じ言語の学校に入れなければいけないという決まりがあるそうだ。ブリュッセルに住むベルギー人はたいてい両方の言語(それ以上)が話せるが、元は違う言語の出身だったりするから夫婦喧嘩になることもあると聞く。ちなみにフランス語とフラマン語はまったく違う言葉である。
息子の幼稚園入園は娘が小学4年生になっていたので、2人で校舎に入っていく姿を私は見届ければよかった。娘の時のように別れ際に泣かれて困るということはなかった。しかし、小学4年生の娘は弟のために幼稚園の部屋までずっとついて行って、バッグを下ろしたりするのをしばらく見届けていたのだと、つい先日教えてくれた。
幼稚園を終えていよいよ小学校入学を迎えた9月1日、といっても日本のように式があるわけではなく、幼稚園と同じ建物なので、親はいつものように校舎の入り口まで送っていく。
大きなバッグをしょって心配そうな顔で校舎に入っていく息子に続いて、
黒髪のおかっぱ頭の女の子が校舎に入っていった。
え?
あのまっすぐな黒髪はアジア人だ。それに、チラッと見えた横顔は明らかに日本人だった。私たちが住む地域に日本人が住んでいるという話は聞いたことがないが、おそらく最近日本から来た人なのだろう。
よかった!
日本人がいるなら話し相手にもなるし、息子も心強いだろうと思った。
お迎えの時間に学校に行くと、新1年生が今か今かと迎えの親を探していた。息子が笑顔でこちらに向かってくる。
「どうだった学校? あ! それよりあの女の子と話した? 日本人がいてよかったね」と私は矢継ぎ早に聞いた。
すると息子が、
「話したけど日本人じゃなかった」と寂しそうに答えた。
息子の話によると、お互いにすぐに近づいてそれぞれが何か話したそうだ。しかし、それは自分の知っている言葉ではなかったそうだ。
翌日のお迎えにその女の子のお父さんと思える人が来ていた。私は近づいて話しかけた。すると、最近近くに料理店を開いたベトナム人だった。そのお父さんの話によると、あちらもうちの息子を同じ国と思ったらしく、
「ベトナム人じゃなかったって家に帰って残念がって話していたんですよ」と言ったので、顔を見合わせて笑った。
結局、その家族とはカタコトのフランス語でしか会話できなかったが、同じクラスにアジア人がいることの心強さはあった。その後、店の場所を聞いて何度もベトナム料理を食べに行った。
国は違うが顔が似ているアジア人同士、なんとなく親近感が湧くのは私だけではないだろう。
ちなみにまっすぐな黒髪を自然のものと思わない人が多く、子供の髪が光っているのは何をつけているのかとか、どうやってまっすぐにしているのか、とかいろいろ聞かれた。
日本人ならその逆で、明るい色でウェーブがかかった髪をうらやましく思う。みんなないものねだりという訳だ。