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64歳 苦手なことも人それぞれ
得意なことを知る機会は結構あるが、苦手なことはその場面に出くわさないとわからないものである。そして、それは別の人にとっては「こんなことが?」と思うようなことであったりもする。
私はなんちゃって洋裁でミシンで何かを作るのが好きだ。母が昔やっていたのを思い出しながら自己流で適当にやって楽しんでいる。去年はお気に入りの夏のワンピースから型紙を取り、かぶるだけの袖なしワンピースを2枚作った。いや、ワンピースなんて格好いいものじゃない。
いわゆる「あっぱっぱ」だが、夏はそればかり着ている。
数年前、古い着物のハギレをたくさんもらったので、模様を生かして裏付きの小さな巾着袋を作った。思ったより手間がかからず見栄えがよかったので、形や大きさを変えて次々と作っていった。
150個を過ぎたころには、もう完全に飽きて、ベルギーに住む日本人の友人にお土産と称して強引に受け取ってもらった。彼女は外国人受けすると言って喜んでくれたが、本当は数が多すぎて困っている様子だった。まあ、腐るものじゃないし、そのうち何かのイベントで売ると言ってくれた。
毛糸の編み物もやったことがある。編み始めたころはいろんな模様に挑戦した。服として完成させることよりも編むことが楽しかった。
昔、結婚前の夫のためにアルパカの毛糸でVネックのセーターを編んだ。しかし、袖が長すぎて、彼は「大丈夫だよ」と言って着てくれたが、着たのはその時1回だけだった。私はそれを腕の長い祖父にあげた。祖父はサイズがぴったりで喜んで着ていたというから、それはそれでよかった。本当は毛糸をほどいて袖を編み直せばいいのだが、そういう面倒なことは私にはできない。
先日、友人宅のテーブルに素敵なレースのテーブルクロスがかかっていた。ベルギーのお土産かと思うぐらい繊細に細かく編まれていて、大きさも1m以上あった。
「これ、とってもきれいね」と言うと、
「私が昔、編んだのよ」と意外な答えが返ってきた。
彼女が昔レース編みをしていたとは初耳だった。それまで手芸などはあまり興味がないようなことを言っていたので、正直とても驚いた。
「昔はそういう娘だったのよ」という友人のレース編みをしている娘姿を想像して私はニヤニヤした。
人の苦手なことに偶然出くわすこともある。
折り紙で鶴を折る機会があり、折り紙は千羽鶴用の小さな7.5センチ四方だった。老眼の私には小さくて折りにくいと思ったが、メガネをかければ折れないことはなかった。
ふと目の前の少女の手があまり進んでいないことに気づいた。
「私、折り紙って苦手なの」とその子は言った。
「わかるわかる、私も」と隣の子も言った。
「端っこをぴったり合わせるのがむずくて」
「そうそう」
目のいい10代でもそういう子もいるのか。
そういえば、10年前に友人宅に泊まった時にその友人が、
「私は掛け布団にカバーを付けるのが一番苦手なの」と言った。カバーを付けるのが面倒だとは思うが、苦手というのは珍しい。後で私が自分でやろうと思っていたら、もうカバーがついていたので、申し訳ないことをしてしまった。
こうして文章を書いていて言うのもおかしな話だが、私の一番苦手なことは何といっても、文章を書くことだ。
苦手だから始めたのだ。
手書きとは違い、パソコンのおかげで直したり追加することが簡単にできるから、なんとか私にも書ける。
まさか自分が一番苦手なことを60歳を過ぎてからやるとは思いもよらなかった。
私の人生まだまだ新たなことに出会えるかもしれない。