高3 お弁当に表れる家の経済状況
私の高校には、公立なのにコンビニのような売店があった。
お菓子、プリン、肉まん、コーラ、総菜パン、文房具、生理用品、ストッキングなど、食べ物から急に必要になったときの物まで、かなり品揃えが良かった。
高校の規則もゆるく、授業中以外ならいつでも利用していいし、もちろん食べてもよかった。
食欲旺盛な私は2時間目の休み時間には、もう売店に行ってアンパンなどを買っていた。昼食の時間には、別の業者が廊下でお弁当や総菜パンを販売するが、早い者勝ちなのでお目当てのものはなかなか手に入らなかった。
私は母の手作り弁当を持って行っていたので、廊下に並んだことはない。
母のお弁当は少し変わっていた。いや、少しずつ変わっていった。
ご飯の入った小さな入れ物と、おかずが2、3種類入った大きな入れ物が普通だったが、おかず入れに一つの種類だけ入る日があった。それも決まってエビの天ぷらかホタテの天ぷらだ。おかずとしては豪勢でうれしいが、1種類だけたくさん入っているのだ。野菜もなく、卵焼きもなく、ただ天ぷらがどっさり。
友達は、「豪華ね!」 と言ったが、「母は何を考えているのだろう」と思った。私は友人に天ぷらを配り、そのお返しにおかずを少しずつもらった。それはそれで楽しかったが、時々お弁当の蓋を開けるのがちょっと怖かった。
家に帰ると母は「今日のお弁当おいしかったでしょ」と言ったが、
「おいしかったけど、あれだけっていうのも・・・」と口を濁した。
それから何年も経ってからその理由らしきことがわかった。
私が高校生の頃、父は尺八を作っていた。
父は会社を定年退職した後、尺八制作者になった。50代の頃から週末になると尺八制作者である父の兄のところに修行に行っていた。60歳を機に本格的に仕事として始めると、見事にいい楽器として演奏家たちに求められるようになったのだった。
尺八は短いものでも15万はするから、長いものになれば30万以上しただろう。父のお客さんは民謡の伴奏をする人が多かったので、気に入ればその後も違う長さのものを何本も買いそろえてくれる。歌い手に合わせて伴奏はキーを変えるので、それに合った楽器が必要になる。その時の尺八の売り上げがかなり多かったということだった。
そんなに売れていたとは驚きだった。
でも、私はその話を笑って聞くことはできなかった。
高校2年の時は、高校を卒業したらどういう道に進むか悩んでいたころだ。
母は、「うちには進学させる金銭的な余裕なんかない」とずっと言っていた。
だから、私は就職するか進学するにも自力で行けるところを考えていた。そのころ小さな劇団の座員になってたびたび東京に行っていた私は、大学で本格的に演劇を学びたいと思った。
大学で学べるところを見つけたが、大して勉強もしないまま受験し落ちた。あんなので受かったらたいへんだわ、と半ば予想していた通りの結果になった。それからは金銭的に親の世話にならないよう自分で好きにやっていこうと思った。
あのとき、母が金銭的な余裕はないと言っていたのはうそだった。
子供の学校に使うお金はないということなのだ。いや、私の生活態度に何としても進学したいという様子がなかったのも本当だろう。一生懸命勉強している姿があったのなら、両親も何か考えてくれたのかもしれない。
しかし、そうだろうか。やっぱり納得いかない。
きちんと自分の将来について本気で考え、両親と話し合うべきだったのだ。
でもまあ、その10年後、自力で通信教育で勉強して、今、そのおかげで仕事ができているから今さら何も言うことはないけどね。