42歳 チャド空港での荷物検査
日本に帰国して1年がたった頃、「キミ子方式―三原色の絵」を提唱する松本キミ子さんから、電話がかかってきた。
当時、松本キミ子さんは三原色の国旗の国を訪れて三原色の絵を教えるという活動をしていた。次の訪問地はアフリカのチャド共和国で、その年2000年12月に予定されていた。
チャドへつながる人を知らないかという電話だったが、たまたま夫の知り合いがチャドで砂漠化防止の活動をしていたので、話はスムーズに進んだ。さらに三原色の絵を教えに行く活動に興味が湧き、私も参加することにした。
一行は通訳やカメラマンを合わせて全部で8人となった。交通費は自己負担だが滞在費については日本政府からの支援があった。ビザの取得、予防接種などを済ませ、私は友人からもらった中古の鍵盤ハーモニカを現地へのお土産としてトランクに8台つめた。自分の荷物はリュックに入れた。
成田から約15時間のフライトの後、パリの空港で乗り換えた。
飛行機が飛び立ちスペインを超えてアフリカの上空から下を見下ろすと、荒涼とした砂漠地帯が延々と続いた。6時間ほぼずっと砂漠の上を飛んでいた。
到着したチャド空港は、小さな小屋のような建物があるだけだった。12月だというのに暑い。いや、私たち日本人には暑く感じた。12月は比較的過ごしやすいということだったが、現地の人は寒そうにタートルネックのセーターを着ていた。
空港では荷物検査のために長い列ができていた。
私はトランクの中を見るとは思っていなかったのでとても焦った。なぜなら、私のトランクには、たくさんの鍵盤ハーモニカが入っているのだ。私は訪問先の学校へのお土産で持って行ったのだが、数の多さからチャドで売るつもりだろうと言われても言い返すことができない。税金を取ると言われたら、おそらく高額を言ってくるに違いないと思ったのだ。
ベルギーに住んでいた時、義母が3歳になる娘のために七五三の着物を送ってくれた。それはとてもきれいな柄で高級品と思われたようで、2万円もの税金を取られた。その国にない物を持ち込むには気を付けなくてはいけないことを私は知っていた。
荷物検査はついに私たちグループの番になった。トランクの中はチャドの人には見慣れない絵の具や筆やパレットなどだが、ボランティア活動に使うものだと説明したことで納得してくれた。次の人の荷物も画用紙や本や服や洗面道具などの生活用品で問題なかった。
次々と同じような荷物が続いて、検査官はだんだん面倒くさくなってきたようだった。
そして、ついに私の順番になった。
すると、
「もう中を開けなくてもいいから通っていい」と言ったのだ。
よかったー! 間一髪だった。
私は表情を変えずに検査官の前を通り過ぎた。
税金を取られることなく空港を出られ、そして鍵盤ハーモニカも無事で本当によかった。
しかし、
訪問先の学校では、鍵盤ハーモニカをとても気に入ってくれたが、校長先生
は自分への贈り物として自宅に持って帰ってしまったのだった。