僕が偏見を恐れなくなった日(カムアウトした日)【🏳️🌈LGBTQI関連】
今から25年前、10代最後の週を迎えた僕は決めていました。
20歳の誕生日に、母親にゲイだとカムアウトしよう…と。
母子家庭で育った僕は、告白することによって母が「自分の教育のせい」と自分を責めることを何よりも恐れていたので「どう説明するか?」ということは大問題でした。
当時はネットもない時代。入手できる情報は限られており、ゲイ雑誌の存在は知っていても、買う勇気などありません。
10代を通して僕は「なぜ男が男を好きに?」という疑問の答えを求め、藁をも掴む思いでアンドレ・ジッドやアメリカのゲイ文学を読みました。
…が、そこに描かれているのは苦悩ばかり。
当然答えは見つかりません。でも独りではないと慰められました。
焦るばかりでタイムリミットを目前に控えたある日、母に何の前触れもボソリと言われます
「ねぇ、あなたゲイなんでしょ?」
まさかの先制攻撃!💥
予想外の展開に僕は動転して「気が付けば男性に惹かれていたこと、歴史上の偉人にもゲイがいる…」などと不器用に弁明。まるで悪事を働いたことを告白するような気まずさ。
「私がいけなかったのかしら…」という胸をえぐる言葉の後、母は言いました。
「どちらにしろ、私の大切な息子には変わりないのだから…」
不思議と嬉しさや悲しさという感情は起きず、ただ涙がTシャツを濡らしました。
「ゲイのことはよく分からないけれど、教えてね」
その日から、僕は偏見を恐れなくなりました。どんな侮辱や言葉の暴力を受けても、母が理解してくれているからです。
入門編の母に、武器庫に厳重に隠しておいたビデオや書籍を渡し、母の猛勉強は始まります(映画トーチソング・トリロジーやモーリス、アカー編ゲイ・レポートetc.)
僕はラッキーでした。親なら誰でも受容できるわけではありません。
同様に悩んでいる若い方には、思い詰めないで頂きたい。
無理にカムアウトする必要もないのです。心の準備ができれば、すれば良い。突然、道がひらける事もあります。
どちらにしろ、どんな結果になったとしても、あなたの葛藤は無駄ではない。
最後まで読んで下さってありがとうございました!