見出し画像

セーラームーンミュージアムに行ってきた話

平成生まれ女児なので、当然のようにセーラームーンが好きだ。
いや、私の世代だと、テレビアニメも放映がちょうど終了したあたりなので、「当然のように」というのは少し違うかもしれない。
もっと正確に言えば、「わたしと同い年の子の姉とか従姉が、当然のようにセーラームーンが好き」だ。
よって、すこし世代からは外れている。
だから、逆に幼稚園や親戚の間では「珍しくセーラームーンが好きな子」で覚えられていたし、同年代の子の間では「時代遅れの子」扱いを受けていた記憶がある。正直な話この体験がめちゃくちゃ傷になっているので、今になってセーラームーンが好きであることが当たり前で、世代を超えて持て囃されていて、ああみんな好きだったよね、と言われると嬉しい反面複雑な心境になる。
しかし、だれもわたしの傷なんて知らないまま進んでいくし、もうそれでいいと思っている。わたしの傷を治せるのはわたしだけだ。

ここまで来れば推測できるだろうが、正直なところ今回、最初からこの展覧会に行く気はなかった訳である。
上の理由に加え、コロナもなんだかよくわからない流行り方をしているし、家には持病持ちの家族もいるし、今の仕事がインフラ系でうっかり長く休もうものならあらゆるところに影響が出てしまうため、正直そんなものが開催されていることすら、行けないと思うと悔しくなってきてしまうため考えないようにしていた。

ではなぜ、行くことになったのか。
秋頃だろうか。かねてからTRPG界隈でお世話になっているフォロワーから
「年末にでもセラムン展行こうかと思ってるんですが、望月さんお好きでしたよね?」と声がかかったのである。正直気乗りしなかったが、この時点でこのフォロワー2名が地元に観光しに来ることが決まっていたため、まず会えることが嬉しかった。
日頃わたしがセラムンに対して複雑な感情を抱えたオタクであることを伝えた上で、それでもかまわないか訊いたところまったく問題ないということと、そのフォロワー2名は正直小さい頃にアニメをちょっとだけ観たとか、昔原作を読んだきりだとか、そういう感じであったことから、「突然現地でオタクの濃厚すぎる偏った解釈を原液で浴びせかけられても口論にならない」という確信があったため、わたしも現地に赴くことになった。

わたしの職場でコロナが大流行するなどして日程は延びに延び、来る12月30日。会期は最終日である。卓修羅と社畜で構成されたメンバーであったが、奇跡的に日程調整がうまくいき、我々3名は六本木へと降り立った。


わたし「ここがあの女のハウスね……!!」
わたし「アエエエ……ッ!? でけえ 意味がわからない……」

前売り券を買っていてよかった。現地に着いたら当日券は蒸発していた。
入場するやいなや、発汗し始めるオタク・わたし。流行が過ぎてからジャンルに来たオタクというのは、得てして公式からの巨大な供給に慣れていない。バグり倒すのを鑑賞してくれていたフォロワー、ありがとう。

ていうか入口と出口が時空の扉でできてて、入った瞬間に真っ暗な部屋に武器やタリスマンがライトアップして浮き上がって見える部屋に通されて、そこでレーザーの演出付きでまあまあな音量でムーンライト伝説を流しながら全員分の変身バンク見せられたらもうそれは「催眠」だよ。世界観に観客を引き込む演出と手法がすばらしい。今からあなた方はこの世界の夢を見るのよ、見てもいいのよ、つらい現実なんて忘れて。と抱きしめて貰えたような気分になった。最高。ありがとう(早口)

……さて。結論から言うと、行けてよかった。
普通にセーラームーンのことが好きなのを再確認できてよかった。
ひねくれたオタクなので、基本的に悪役ばかり推している(彼らの主義主張は大いに共感できるので、今まで注意していなかった方々は今一度読み直してみるといい)。
どこ推し?と訊かれるとちょっと悩むのだが、いいから選べと恫喝されたらブラック・ムーン一族(の、特にプリンス・デマンドと蒼のサフィール)とセーラーギャラクシアと答えるような人格の持ち主である。
しかし一方で、月野うさぎのことは後続の戦う女の子アニメで喩えると鹿目まどかのごとく神聖視しており、月野うさぎ、セーラームーン及びセレニティにおいては、彼女を中心としてセーラー戦士の神話大系が築かれていると信じてやまないので、オタクとして「信仰心」があるのは月野うさぎに対してである。

会場に掲示されていた、KCなかよし、新装版などのあらゆる最終巻から引用されたと思しきギャラクシアのモノローグ。

つまるところ、この展覧会の会場自体が、まるで本当にこのセーラームーンのように包容力がある、と感じたのだ。
今もまだ子どもである人、もう子どもではなくなってしまった人、その当時から大人だった人。もちろんその時々でファンダムや、公式の方でもいろいろ諍いや問題があったのは承知の上だが、その紆余曲折ですらも優しく包み込んでくれるような優しさがある空間だった。
やれ原作が、旧アニメが、クリスタルが、ミュージカルがああだこうだなどといろいろ比較したり、偏った視点から批評したり、叩いてみたりと、ここ数年SNSやら動画のコメントやらで散々目にしていたため、正直なところファンが沢山いるところに行くことも、Twitterで新たなクラスタと繋がることにもうんざりしていたのだが、本当に、自分対作品の一対一で、「セーラームーンが好き」ということを思い返させてくれる、救いに満ちた空間だったと思う。
行けてよかった。

こんなめんどくさく拗らせたオタクを容赦なく引きずり出してくれたフォロワーには感謝してもしきれないので、一生かけて恩を返そうと思う。

さて、余談だが、わたしはミュージカルが好きだ。
そして、人生で初めて触れたミュージカルは、黒木マリナが座長を務めていた時の、いわゆる「バンミュ」だ。『無限学園・ミストレス ラビリンス』仙台公演である。
そこでミュージカルという演劇の形態に心を奪われたのもその通りだが、その時何よりも衝撃を受けたのが、「自分達と同じ年頃か、それより小さい子が、セーラー戦士として舞台上で戦っていた」ことだった。
なにせ身体が弱く、幼稚園の先生から「将来の夢、セーラームーンじゃなくていいの?」と訊かれても「いや身体弱いし無理だよ世界救うとか」と思ってしまう程度には賢しい子どもだったので、それ自体が衝撃的で、自分もそこに立ちたい、と薄ら思った記憶がある(が、その後従姉がモデル事務所に入って過酷なダイエットや稽古をせざるをえなくなり続かなくなって退所してしまったことや、母親にああいうのはダンススクールに通わないと無理などと言われたことが原因で秒で諦めている)。
ずっと舞台に立ちたい、自分以外の何者かを演じてみたいという欲求を、例えば中学時代の選択音楽でミュージカルを作る授業を履修してみたり、高校で校内朗読コンクールに出てみたり、TRPGでボイセに勤しんでみたりするなどして、無意識に発散している人生だった。

で。
セーラームーンミュージアムから帰り着いたその日の晩、疲れ果てて床で寝こけたわたしは、笑っちゃうような夢を見た。
楽屋で、バンミュのうさぎの制服を合わせている夢。
あんなに小さい(※画像参照)衣装が入るのでびっくりして身体を見下ろすと、昔の少食で痩せてて、子犬っ腹だった頃のわたしの身体が見えた。

会場で展示されていた、バンダイ版エターナルセーラームーンの衣装。翼の幅や、ブーツの足首部分やトルソの首の太さから推測できるように、子ども服と言って差し支えないほど小さい。

「あ〜これ、夢だ。え、ていうかわたしが座長か。やべえな。あ〜みんなもう準備して袖に行っちゃったな。え、てか今日が初日、うそだろ、行かなきゃ。早くタイツ履いて後ろのファスナー閉めないと」
……と思ったところで目が覚めた。
昨日衣装見たし、帰り道もずっとバンミュのサントラ聴いてたからこんな夢を見て当然だと思ったけど、その後にシャワーを浴びながら、小さい頃に色々諦めてしまった自分の悔しさとか、やりきれなさが軽くなっていることに気づいて、ああ、「成仏」したんだなと思った。
行けてよかった。セーラームーンミュージアム。

救ってくれてありがとう、『美少女戦士セーラームーン』。
偉大なる原作者である武内直子姫にも感謝を。どうかお元気で。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?