【エッセイ】世界の隅々にカラフルな雨傘が咲けばいい
2022年3 月2 日、水曜日。午後15時前。神戸の気温は10度を越え、暖かかった。陽の光がもたらす温もりは、ずいぶんと春らしくなってきた。
「あら、まぁ、可愛い」
そう告げる年配の女性の左手には、小さな女の子。おそらく1 歳から2 歳くらい。女の子の足取りは、ヨチヨチながらもしっかりしていた。おそらく日中にお孫さんを預かっているのだろう。おばあさんの右側には、その女の子より、少しばかり年上に見える男の子がいた。
「ホンマにいいの? お母さんに聞かんで大丈夫?」
「いいんです。もう使わないから大丈夫です」
その兄妹よりも、さらに大きな女の子。黒縁の大きめの眼鏡をかけ、髪型はふんわり丸まった短めのおかっぱ頭をしている。小学校1、2 年生くらいだろうか? その女児は、おばあさんの問いかけにそう答えると、自分の持っていた雨傘を、そっとその小さな左手に持たせた。幼女は、右手であばあさんの手を握りながら、左手でその傘をしっかりと掴んだ。
その傘は全体的にピンク色をしており、白と赤の花柄、ハート柄、もしくは水玉だろうか、遠目には分からないが、生地全体にその模様がまだらに散りばめられている。生地の先にはフリルがついており、なんとも可愛らしい傘をしていた。確かに、小学校低学年の子が使うにしても小さい。傘の持つ可愛らしさは、その小ささでさらにそれを増していた。
女児は片膝をつきながらしゃがみ込み、幼女の肩を抱きかかえ、その目線にそれを合わせると、数回、頭を撫でた。幼女はきょとんとして、動じなかったが、女児もおばあさんもニッコリ微笑んでいた。
§
と、まぁ。これが今日。
仕事中、僕が見た世界である。
そして、僕の愛する世界である。
なんと美しい世界だっただろう。
そして、なんとしっかりした女児だっただろう。
彼女が雨傘をあげる行為はもちろん。
おばあさんへの受け答え、幼女をあやす仕草。
何より、自ら膝をつき幼女に目線を合わせる行動。
なんと、しっかりした女児だろう。
なんと、美しい心だろう。
きっと彼女は、他の国で戦争が起きている事を知らない。
もし知っていたとしても、理解していないだろう。
むしろ、知らなくてもいいし、理解しなくてもいい。
ただただ、そのまま美しく育てば良いと思う。
各国のお偉いさん方にも、こんな時期があったのかもしれないが。
是非とも、思い出して欲しい。
世界の隅々にカラフルな雨傘が咲けばいいのに。
§
ちょうど、そのすぐ後。
たまたま、ぼんじゅに(6 歳・息子)の保育園の横を通った。
たまに仕事中にそこを通る僕は。
園庭で園児が遊んでいると帽子の色を確認する。
今日は緑と青の帽子の園児が遊んでいた。
緑の帽子ということは、どこかに我が息子、ぼんじゅにがいる。
とはいえ、僕はそこを通り過ぎる間に。
ぼんじゅにを見つけることができたためしが。
これまでに一度もない。
父親なのに、あまりジロジロ見て不審者扱いされても困る。
今日も探せず仕舞いで通り過ぎようとした時。
「ぼんじゅにくーん」という女の子の声がした。
同級生の女の子が息子の名前を呼んでいる。
ぼんじゅにの姿は今日も見つけることができなかったが。
なぜかその呼び声を聞いて満足した。
そして満足した僕の目の前、保育園の入り口に。
レクサスだったか、クラウンだったか忘れてしまったが。
白い大きなセダンが止まった。
どうやらどこかの保護者がお迎えに来たらしい。
何気に車のナンバーを見ると。
ぼんじゅにの誕生日と同じだった。
そして僕はそれにも満足した。
偶然なのか、必然なのかは分からないが。
僕はその瞬間。
「あぁ、やっぱり世界は美しい」
と、思ったのだ。
これが僕の愛する世界。
もっともっと。
世界の隅々にカラフルな雨傘が咲けばいい。
もっともっと。
世界の隅々にカラフルな笑顔が咲けばいい。