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【エッセイ】久留米の母が来た

久留米の母が来た。

とはいえ、僕は神戸生まれ神戸育ちなので、久留米には何の所縁もない。

では、母親が久留米に引っ越したのかと言えば、そうではない。

母親は神戸に住んでいる。

何やったら自分の家のすぐ近所に実家があって、そこに住んでいる。

では、産みの親、育ての親として、母親が2 人いるのかといえば、そういうわけでもない。

僕は紛れもなくオカンから産まれ、オカンに育てられた。

でも久留米の母は、母なのだ。

まぁ、もったいぶらずに言うと、僕にはオカンとは別に、母と呼んでいる伯母がいるという事である。

§

うちのオカンは6 人兄弟の末っ子だ。

出身は長崎で、姉が3 人、兄が2 人いる。

末っ子なので、まぁ大層みんなから可愛がられたそうだ。

その分、オカンもまた、姉、兄への感謝と愛情が強く、じーちゃん、ばーちゃんを含め、とても家族思いの末っ子である。

久留米の母は、次女にあたる。

実家の長崎を出て、福岡で長年、看護師をしている。

それも大学病院など、大きな病院に勤めてきた。

僕の姉が看護師になったのも、父親の闘病、病死の経験、そして何より久留米の母の影響である。

久留米の母は、看護師として働いてきたので、お医者さんとの良縁もあった。

しかし、母は独身である。

過去、様々な良縁を断って、独身を貫いてきた。

理由はたったひとつ。

稼いだお金を家族に仕送りし続けることのできる生活。

自分が幸せになるより、親、兄弟の幸せを優先してきたのだ。

結婚してしまえば、自分の実家とは別に、新たな家庭ができる。

そうなれば、100%の援助ができなくなる。

そう思った久留米の母は、自分の幸せを放棄して生きてきた。

§

「欲しい物は買っちゃいけん。必要な物だけ買いなさい」

それが久留米の母の教えだった。

母子家庭だったうちの家だけではなく、親族一同へ何かとお金の援助をしてきた。

数年前、久留米の母の家に行って驚いた事があった。

母の炊飯器である。

見るからに古い炊飯器を使っていた。

昭和生まれの人なら何となくわかるかもしれないが、オレンジやグリーンなどの、カラフルな花や蝶があしらわれた炊飯器を使っていた。

「○○炊き」どころか、タイマーすら付いていない。

いわゆる昭和レトロというやつだが、母はそんなオシャレな使い方をしていたわけではない。

「ちゃんと炊けるけん」

と言って、何十年も同じ炊飯器を使い続けていた。

見るに見かねた僕が炊飯器を買って久留米に送ろうとしたら、うちのオカンに、

「そんなんせんでええよ。かえって気使わすだけやし、新しいの送ってもあの人、封すら開けへんで。そんな人やから、今の壊れてから買ったって」

と、言われた。

そんな久留米の母である。

ゆえにうちのオカンは、

「久留米の母の面倒もアンタらがみるんやで」

と、僕たち兄弟に言い聞かせてきた。

毎年、母の日には姉が中心になって、花とプレゼントを贈ってきた。

そしていつしか僕たちも、久留米の母のことを「母」と呼ぶようになった。

母は母で、

「私の子供はアンタらやけんさ」

と、言ってくれている。

たくさんいる甥っ子、姪っ子の中でも僕たちは特別のようだ。

§

実家に住んでいるのも、もうオカンだけやし、久留米の母へ僕たちは、「神戸に移住せぇ」と、言っている。

しかしながら、70歳を越えているにも関わらず、「仕事がまだあるけん」だとか何とか言って、なかなか神戸に来ない。

幸い、昔に比べると、神戸に遊びに来て、長期滞在する事は増えた。

ただこの2 年ほどは、社会情勢もあって遊びに来なかった。

看護師やし、元の性格が堅実な人ゆえである。

そんな久留米の母が、久しぶりに神戸に遊びに来た。

しばらく滞在するだろうから、クリスマス、年末年始は一緒に過ごすことができそうだ。

楽しくなりそうだが、それ以上に、どんな親孝行ができるかをしっかり考えたい。

ちなみに久留米の母は、キャメロン・ディアスに似ている。


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さくら ぼんじり
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