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マレーシアで心折れる時

それは、渡れない時。
『歩行者は横断歩道を渡る=横断歩道があれば渡れる』
それが従来の私の考え方だった。

マレーシアに来てから、横断歩道があろうがなかろうが、渡りたい時に、渡れる人が、渡るのが『道』である。それを思い知った。

電線はいろんなところからぶら下がったり、切れたりしてその辺に飛び出してきているし….
よく生きてるなみんな。それともこれは電線ではない?

何車線であろうと命を惜しまず…(?)歩みを進める。そうしないと一生渡れない横断歩道があった。親切なバイクの人が「今だ、行け!」と合図してくれることが何度もあり助けられた。いつ、どこから車が曲がってくるのか未だに信号の仕組みがよくわからない。時間だけは無限にある…(笑)急がずに、この大通りで排気ガスを吸い続けてやる!車よどんどん来い!!…そう思いながら流れる汗を拭っているとビュンビュン来る車を物ともせずスルッと道路へ出ていく現地人がどこからともなく現れる。よかった〜!着いていくぞ!南国の人は動く物体を認知する速度が違う目と脳を持っているんだろうか?(ハエなどみたいに)その速さの車の間を、普通は行かないだろう!と思うタイミングでぐいぐいとそれも意外とゆっくり歩き進んでいく。そうすると車も速度を抑えてくれる。こうやって渡るのか…徒歩の私には一生は住めないや、この国。歩行者の信号が青でも右折だったか左折だったか、訳のわからない角度から車が来るから「もう一生待ってないといけないのか…夜中の3時頃になれば渡れるだろうか…」なんて直射日光に照らされながら不貞腐れたことも何度もある。現地人が来てくれないと一人では怖すぎる。赤信号、青信号、みんなで渡っても十分怖い。

歩道に停めちゃってる車。AWAS(気をつけて)の表示の下に。
そんなことに使う標識だったなんて…

路上の白い車は壊れてしまったらしく、ボンネットが開いたまま置き去りになっていた。ドライバーは居ない。丸一日経ってもまだそこにあった。
トップの画像に使った写真の、モントキアラの大通りで。レッカーは来ない、急がない、焦らない…ってことなのかな?

次の昼、そこに停まったままの車に大きな葉っぱがワイパーに挟まれAWASしていた。

翌日もそのまま車は運ばれることなく放置されていた。
そしてさらにその次の日の夕方、白い車は姿を消し葉っぱが歩道の脇にそっと戻されていた。
車は放置されても、葉っぱをちゃんと道の脇に片づけるところ。
一人一人の心はすごく丁寧でしっかりしているのだけれど、システムやサービス、体制がそれに追いついていないだけだ。

あおげあおげ、あおぐぞあおぐぞ、したくなるくらい大きな葉っぱ
歩道も油断すると足を挫く段差がいっぱいAWAS24/7

出かける度、「あの道路渡れるかな」という不安が毎日付き纏う。
折角横断歩道が近いコンドミニアムを見つけて住んでも、外出の度にスリルを感じて変な脳内物質が出てしまう。暑さと未知の食べ物の辛さもあるけれど、こんな思いを毎日するせいで結構疲れが溜まってきた。

そして、いろいろなことにムカつく余裕が出てきてしまった。
このムカつきモードは、私のインド人嫌いの確定に繋がる。


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