フランス人旦那の極端すぎる友達の定義
うちの旦那はとても社交的だ。
人見知りって何?ってくらい初対面の人の前でも堂々と話すし
自分は面白くて最高と思っているので、誰の前でも自分を100%出す。
だからはたから見ていると友達多いんだね~と思っていたが
4年の付き合いで全然そんなことがないことがわかった。
大人になるにつれて必ずみんな自分自身に問いかけているのではないかと思う
【友達ってなんなん?】についてフランス人旦那の観点を聞いてみた。
旦那にとっての友達の定義
私たちはオーストラリアで一時期一緒に過ごした時期がある。
その時は共通の友達もいて、どちらかというと旦那の方が深い付き合いだと思っていた人もいる。
でもタイにいる今、その友達の中で実際に友達と呼べる人はいないと言う。
何人かフランス人もいて、一度タイに会いに来てくれたこともある。
私は素直に嬉しかったが、旦那はそのフランス人とはあまり馬が合わないようだった。
旦那に本当の友達は何人いるの?と聞くと
2,3人だよ。と答えた。
その定義は、【例えその人がどんな状況にいようと、例えば人をコロしてしまったと言われたとしても、一緒に死体を隠す方法をさがす】ような人と言われた。
私はこの返答を聞いたとき【は?さすがのぶっとんだ回答】と思ったが
後々考えると旦那らしいとも思った。
もちろん極端な例を挙げているだけと思うが、それほど彼にとって【友達】とは究極の信頼関係がないと成り立たないようだ。
私は素直にそれは生きづらいね、と思った。
そんな厳しい友達の定義があるからか、旦那はたまにその信頼関係に疑いを持つことがある。
親友と呼べる友達の許せない行為
旦那の昔からの親友には何回か会っていて、タイに遊びにきてくれたこともある。
まさに今、彼は有給を使って彼女とアジア周辺を旅しているらしい。
ベトナム、ラオス、カンボジア…
私は旦那にまたタイには来ないの?と聞くと
「さぁどうかな。会いたかったら連絡してくるだろ」とだけ言う。
そして何日かしてまた「〇〇は結局来ないの?」と聞くと
「今回は来ないらしい。ちょっとがっかりしている。」
珍しく私にその友達の愚痴を言ってきた。
私たちがフランスに行ったとき、旦那は彼に前もって連絡し、一緒に時間を過ごせるように計画を立てていた。
それなのに彼がアジア周辺の旅をしている今、お互い顔を合わせられるよう計画を立てようともしなかった。
旦那は「別にこれで友達じゃなくなるってわけじゃないけど、ただがっかりしたよ」とだけ話した。
うちの旦那はプライドが高い
フランス人だからというよりも、うちの旦那だからこんな考えになるんだろうなと思う。
ギブアンドテイクが平等でないと不満なのだ。
もし今の私が旦那の立場なら、その親友に「なんで来れないの?会いたかったよ!」くらい言って終わるだろう。
だって大人になるにつれてみんな抱えるものが増えいく。
家族、子ども、自分の健康。いろんな事情がある。
旦那が悲しい気持ちもわかるけど、事情を聴いて理解してあげたら?と言ってみた。
その親友君はもしかしたら彼女が旅行のプランを立てていて、タイには来たくなかったのかもしれないし、予算的な問題かもしれない。
でも旦那曰く男同士でそのやり取りをするのは野暮らしい。
それが世の男性の共通なら女より男の方がめんどくさくない?と思う。
少なくとも私の友達の定義は「あの人元気かな?連絡してみよー」で気軽に他愛ない話でも重い悩みの話でも両方できること、くらいに定義が広い。
旦那は自分でもよく言うのだが、つくづつ複雑な人だなぁと思う。
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