【読書録】具体と抽象
細谷 巧 著
入ってしまったら戻れない。奥深い“抽象”の世界へ誘われる一冊。
普段の生活の中での、「抽象的だね」という発言にはネガティブな気持ちが込められており、マイナスなイメージで使われることが多い。本書では、そんな“抽象”こそ、人類の英知であり動物と人間を分け隔てる、重要な概念であるとされている。
たしかに自分の生活シーンに置き換えてみても、誰でもわかる〇〇とか、カンタン!3ステップで出来る〜〜とか、身の回りには“具体”的な情報を手に入れることが多いように思う。
具体的に説明できるということが優秀なスキルで、抽象的に話す人の言っていることはよくわからない…わたしたちはそんな世界に生きている。
おもち村に住むネコたちのイラストと分かりやすい文章で、とても読みやすい本だった。
“抽象”と仲良くなると何がいいのか。
鮭の抽象は魚、魚の抽象は動物…というふうにひとくくりにまとめることが、抽象化である。分類として把握できるおかげで、学問はもとより人類の文明は進化してきた。
“抽象化する能力”があると、何百ページもの本の趣旨を理解し、要約することができたり、ひとつの物事から他の物事へ応用をきかせられたりする。要するに、学ぶ効率が格段に上がるのだ。
これからいろいろな、たくさんのことを勉強したいと思っていたわたしにとって、とても興味深い話として心に残った。
具体なくして抽象なし。
では、どのようにして“抽象化する能力”を鍛えていけばいいのか。
実は様々な抽象化された物事は、具体から始まっている。考えてみると当たり前なのだが、チューリップ、桜、ひまわり…たくさんの植物がもともと存在する次のステップとして、似たもの同士をまとめて“花”と概念づけている。
そう、具体のことを知らないと抽象化できないのだ。しかもたくさん、細かく。
自分の中で学んだことを別のものに応用しようとしても、学んだものがひとつだけだったとき、その応用はどの程度の精度なのか。
先ほどの花の例で見ても、ひまわりとたんぽぽだけを勉強し、抽象化しても“花”=黄色の概念が成り立ってしまう。たくさんのものを観察し、自分の中に取り込むことこそ、遠回りに見えて、抽象化の能力をあげる近道なのかもしれない。
具体の世界から抽象の世界は見えない。
印象的だったのは、“抽象”の概念を確立させた人には、具体の世界で生きる人には見えないものが見えるということ。
いくら抽象の世界で見えていることを具体の世界の人に伝えても、一向に交わらないのだ。
これは、会社の役職ごとのポジショントークに置き換えるとわかりやすい。社長の言っている理想はわかるけど、現場からしたら非効率だ!という話はよくあることだと思う。この現象も、具体と抽象のレベル感が違うことで起きていることが多い。
抽象の世界が見えてしまった人は後戻りはできない。様々な抽象レベルの人と会話をする上で、具体とセットで取り扱うことが大切になってくると著者は綴っている。
これは抽象レベルが高まった人の定めと言ってしまってもいいように思う。物事を抽象的に理解しつつ、具体性ももって人に伝えていく。これから時代に必要な力はここにあるのではないだろうか。