シビュラシステムになりたい友人の話

初めまして。忘れっぽいので、忘れたくないことをこれからNoteに記録していこうと思います。

⚠ この記事にはアニメ「PSYCO-PASS」のネタバレが含まれます。

事の発端

昨日、学生時代からの友人と久しぶりに話していたんですよ。すると、

友人「わたし、シビュラシステムになりたいんだよね」

私「ん???なんて?????」

ええ、初めて聞いたときは、突拍子もなくて冗談かなぁと話半分で聞いていましたとも。のちに、ガチであることが判明します。

シビュラシステムといえば、人々の精神状態までも管理する劇中の未来社会の意思決定を担い統治するシステムです。
物語中盤にその正体がAIとかではなく水槽に浮かぶ200個の人間の脳を接続した意外と肉肉しい造りになってることが明らかになるやつです。

私がPSYCO-PASSを初めて、グロいし倫理的にやばそうでこわいし、抑圧的な管理社会を支配する不可解な黒幕が出てきたぞ、くらいなむしろネガティブな印象を抱いていたのです。
200個の脳の持ち主たちも、殺人を犯しても罪悪感がピクリとも検出されない槇島みたいなちょいと頭のネジが外れてそうなヤツ(免罪体質者)のを集めた代物のようにも初見時には思えたからです。

シビュラシステムはいいぞ

すると、友人がシビュラへの憧れを熱烈に語りだします。

シヴィラシステムは、あらゆる価値観を持つ頭脳同士をネットワーク接続することで他の全ての脳の思考や価値観を直接参照することが可能になります。いわば脳のインターネットです。
これにより、システム内部では生身の人間同士の会話とは比べ物にならないほどの速度と誤解のない精密さで思考を伝達でき、社会統治のための議論も多角的で熟議を重ねたものになっていきます。
機械学習の分野ではいくつものAIの推論結果を統合することで性能を向上させる手法(アンサンブル学習)があるのですが、イメージとしては近いかもしれません。
どこまでも広く深い議論の末に導き出される意思決定の結果は、社会の構成員誰もが納得できるもので、いわば究極の正義が実現しうる。
哲学めいて言うならば最大多数の最大幸福を叶える価値基準を生成するマシン。
これがシビュラシステムの素晴らしいところなのだそうです。

さらに、シビュラシステムはアップデートを繰り返し、より思考の幅を広げ、より良い社会システムを構築していきます。
さきほど槇島はやべーやつのように書きましたが、見方を変えれば、シヴィラシステムでも理解が及ばない特殊で新たな価値観の持ち主とも言えます。そのような外れ値的な価値観をシヴィラシステムは新たなサンプルとして取り込み、社会全体の思考をさらに網羅的に反映したものになります。それは一般意志に近いものかもしれません。
その結果、新たな視点が加わったより正しく穴のない社会システムが出来上がるわけです。
常に未完成であり続けて発展を止めず、弁証法的に進化するシステムなのです。

熱量がすごいねん。これを聞いた私もシビュラシステムって民主主義を理想的に行う統治システムなのでは、人間が技術の補助によって人間の身体的限界を突破し至るべき次の姿が提示されているのでは、と感じてきました。
あと、他人の考えが直接頭に流れ込むってどんな感じなのか体験してみたい。

友人は16歳のときにPSYCO-PASSを初めて観て、18歳で上述のようなスゴさに気付いたそうな。読解力高いな!
そして、21歳ごろから実生活にシビュラシステムの概念を応用して実践するようになったそうです。はて、実践とは…?

シビュラシステムを実践する 

彼は、擬似的に現実でもシヴュラになれるといい、シヴィラに近付くためのことをしていると言います。
もちろん、シビュラシステムのようにまだ脳は直結することはできません。
現状、他人の発する言動を目や耳を通じて得られる感覚情報から他人の意志を推測するしかありません。

すなわち、他者との交流、対話、コミュニケーションですね。
他者を知る。そこから、自分の思考と混ぜ合わせて統合し、完全に近付く。人数が増えるほど回数を重ねるほど精度が増していく。
これは構造的にはシビュラシステムと同じことをしているではないか。
なるほど、確かに!

ゆえに彼は人間観察が好きなのだそうです。それも、よくある表面的なものではなく、深いところまで心を見たいというものです。
あの人はこういう信念をもっているから、こう動くのだなと手に取るように分かることが嬉しい。
なぜそれほどまでに人に興味があるの?と私は聞きました。それは、他者を知り、他者を比較基準とすることで自分のことをよりよく知りたいから。それが彼の望むものの根っこに迫るもののようです。

生身の人間のコミュニケーションは低速で誤りの多い伝送路かもしれないが、制約をよく認識したうえで、それでも可能な限りの行動を選択するところに彼の意志の強さを感じました。

他者との交流が自己を拡張する。なんか人付き合いって楽しいものなのかもって思い始めたのです。

人付き合いってひょっとしたら楽しいかも?

と言いますのも、私はいくらか対人不安がありまして、人と話していると頭が真っ白になってCPU使用率100%状態になってしまい、人付き合いを楽しむどころではないのです。(その話はまたのちの機会に)

でも、他人がこう考えるからこう動くんだなと分かると面白そうだな、わかったら会話もスムーズで楽しいだろうな、苦痛だけではないのだろうなと思いました。
他者や自己がわかり、より高まる喜びというものを感じてみたい。
抽象的に考えてみても、一人より二人のほうができることが多くて良いことなので、二人以上であることを楽しめるようになりたいというのもある。

そしてなにより、今日は彼のことがよくわかりました。
友人は「これから『この人はシヴィラシステムになりたい人なんだな』と思って私を見たら、多くのことが理解できると思う」と言っていました。
今日わかったこと以外にも友人の持つ別の側面があるのだろうとは思いつつも、こんなに他者の内面を、行動や言葉を規定する原理のような信念を目の当たりにしたのは初めてでした。

その日のうちに友人の理解が深まったと感じるくだりがありました。
友人が明日のM-1グランプリを楽しみにしていました。
それはお笑いとは、繊細なセンスと時流を読む力が芸人や視聴者に試されるからだそうです。
気兼ねなく面白がれることと、ネタの対象とすることがタブーであること、それらは紙一重であり、後者の地雷を踏み抜いてしまうと、視聴者はヒヤッとして笑いが萎えてしまう。
しかもそれらの倫理的な境界線は時代とともに移り変わり、近年は厳しくなる方向。
そんな難題をこなす芸人が優勝を手にする。
友人は、ネタを見て勝ち進む芸人を予測し、自身のセンスが社会のそれと乖離していないことを確かめ、楽しんでいるようです。楽しみ方が高度だな!?
この友人の行動も、友人が自分というシヴィラシステムをより高度なものにしたいという思いを軸としていることが前提知識としてあったため、よ〜く理解でしたのでした。

人間の内側には小宇宙が広がっているというのはというのはこういうことなのか。
自分の見ている世界とは全く別の形の価値体系や秩序のデータ表現形式が他者の中には存在するようです。似たような形のコンピュータの一方にはWindows、もう一方にはLinuxのように別のOSが入っているかのように。 

こうやって他の人のことが分かるのは面白いんだな。
海の深いところまで潜っていき、ある人の核心部というか、小さいけれど希望というか、そんな真珠のような粒を掴んだような気がする、ある夜の会話でした。


いいなと思ったら応援しよう!