つまりはいつでも、いつまでも。

一発免許の記事を書こう。とは思ったのですが、早速免許の話を投稿してしまうと、一個前のnoteとして「てすと」等という得体の知れない文章が出てきてしまう。それはやっぱりよろしくないだろう…と、思いまして、一つここで当たり障りのないお話がしたい。そんなところでなんとなくnoteのトップページを見てみると…「#今から推しのアーティスト語らせて」というお題が。


というわけで。今回は推しのアーティストのお話なんですってよ。


それでは早速推しのアーティストのお話を…と思いましたが……あれ…私の推しって…いなくない…?


そもそも、推しという概念がどういうものなのか、というところからよく分かっていない。「推し」なのです。「好き」ではないのです。

そりゃ、ただなんとなく好きだ、という音楽ならジャンルを問わず何個かもっています。YouTubeで米津玄師の新曲が上がっていればつい聴いてしまいますし、最近だと気づいたら「ずっと真夜中で良いのに」を口ずさんでいる事があります。「好きな歌手は?」と問われれば家入レオと答えますし、「好きなアイドルは?」と問われればシオカラーズと即答します。かといって、「その人たちがあなたの『推し』ですか?」と問われると、ちょっと口ごもってしまいます。


推し、という言葉には多分、推薦する、という語源的な意味と、アイドルグループ発祥の概念という事で、応援する、という後付的な意味がある気がします。そういった意味で、私にとって先程挙げた人々の音楽は「好き」であれど「推し」にはなっていないように思われるのです。なんというか…自分だけが楽しめれば良い、別に布教する必要が無い、とでも言いましょうか。つまり、他人と共有したいかしたくないか、というのが私にとっての「推し」と「好き」との境界線なのです。


以上を前提に、改めて「推し」について考えてみます。

他人と共有して楽しい、という点から見れば、ボーカロイドが真っ先に思い浮かびます。中高時代、ナントカさんの新曲が出たらオタクの皆が集まって盛り上がる、という経験はネットに疎い自分にはあまりありませんが、それでもよくつるんでいる人々がそういう系の人たちだったので、新曲をリアルタイムで聴くことはないにせよ、最もよく聴く音楽ジャンルはボカロでした。文化祭で流す曲として「アスノヨゾラ哨戒班」を教えられ、カラオケでアイツが歌ったことで「ウミユリ海底譚」を知る。友達から教えられ、それが自分の語彙になるかのような感覚。多分、音楽を趣味にする人ならば誰しもが味わう感覚なのでしょうが、私にそれを教えてくれたのはボーカロイドだったのです。

「じゃあ、お前の推しはボカロなのか?」

…それもやはり違うような気がいたします。ボカロは確かに推しと言えるのですが…明確にアーティストを指定する事ができないのです。箱推しではあるのですが、今回のお題とは合致しないように思われます。


では、私に推しのアーティストなどいないのか?本当に?ただの一人も、人にすすめたいと思ったアーティストはいなかったのか?


いた。いや、あった。たった一人、たった一曲だけ。「この曲だけは、みんなに聴いてほしい」と思えた歌が。


私にとっての推しアーティストは、みゆはん。推し曲は「ぼくのフレンド」。ご存知の方もいるかもしれませんが、「けものフレンズ」(2017)というアニメのエンディングテーマでした。


「ぼくのフレンド」は、高校生活も折り返しを迎えようかという時点の私に深く突き刺さり、アニメ本編の展開も相まって強い印象を残した曲でした。「フレンド」に対する想いが綴られた歌詞が、あくまでも明るい、決して暗くなることのないメロディーに乗せられます。曲が進行すると作中時間も経過していき、青春の淡い悲しみのようなものが増してくる…そんな曲全体の持つ雰囲気が、私に訴えかけてきたと記憶しています。

しかしこの曲は、決してサヨナラの悲しみを歌ったものではなく、むしろサヨナラの先でも続く喜びを表現しているものだと思うのです。そして、サヨナラの先で君がどれだけ敵を作ろうとも、僕が君の味方でいるから。この場所での時間が終わっても、君との時間は終わらない。そんな強いメッセージが、この曲には込められているのです。


高三の秋。私は生まれて初めてCDというものを買い、この曲を他の生徒に聴いてもらうべく奮闘しました。あれが最初で、恐らく最後の「推し」布教だったのではないかと思います。私を突き動かしたものは、一種の熱病のようなものでした。この「学校」という場を共有する人々に対して、自分と同じ環境にいる人々に対しての強い感情です。「最後の文化祭」という熱気に中てられていた事も、原因だったでしょう。ともかく、あの時の私は強く、「この曲をこの学校の生徒に聴かせたい」と思っていました。その瞬間、私は「ぼくのフレンド」を確かに推していたのです。


あれからもう一年が経ちました。当時の熱気は既になく、今は音楽を共有したいと感じる事すらなくなってしまいました。本稿執筆のため、久しぶりに「ぼくのフレンド」を聴きましたが、あの頃流れていた涙も流れません。過ぎ去った時間は戻らない、過ぎ去った感情も戻らない。そんな当たり前を教えてくれた事も含めて、私にとって「ぼくのフレンド」は特別な一曲であるように思われるのです。


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