『勝つ空気』とかいうやつ
ドがつく文系であると自称しているが、実のところ体育会系の人間である。実際に体育会の団体に所属しているわけだから文句も出ないだろう。何を隠そう我が大学体育会の一つ、自動車部の一員である。
何故そんな事を言い出したのかと言えば、私が見聞きしたとある大会について唐突に記したくなったからだ。いや、ずっと書こうとは思っていたのだが、どうしても心理的障壁が大きく、中々書き出せないでいた。自動車部界隈は狭く、ちょっと話を探せば簡単に筆者の身元を特定できるうえに、既にこのアカウントは半分周囲にバレている。何より自動車部の大会に、その部員の一人として参加した以上、その大会そのものについて語るのは烏滸がましいという気がする。想像してみてほしい、貴方がその大会に選手として出場した私の先輩だったとして、ロクに仕事もしていなかった後輩が何やら賢しげに大会の批評をしているのを見つけた気分を。少なくとも私は良い気がしない。にも拘わらず、結局この文章を書こうとしているのには2つ理由がある。1つ目は最近読んだブログに影響を受けた事、2つ目は来週末に今年度最後の大会が迫っているという事だ。特に後者は深刻だ。私はこの大会に、部として絶対に勝ちたいと思っている。そのためにこの文章を、今残しておくことには意味がある。そういうわけで、この駄文を読まれている関係者の皆様にはご寛恕を願うと同時に、この文章の存在を他の関係者に知らせないようお願いする次第である。ついでに、筆者に直接感想を伝える事も絶対にしないでほしい。黒歴史と化した痛いポエムを音読されるようなものだ。
部の監督曰く、試合には『勝つ空気』とやらが存在するそうだ。それがどんなものかは分からないが、なるほど、それは確かに実在するのだろう。こう思うのはひとえに、私がある大会でそれを経験しているからだ。2019年のダートトライアル、関東大会がそれだった。その大会で、私たちの選手は個人優勝を果たしたし、3人の選手の合計タイムで争われる団体優勝も獲得した。更に言えば、女子選手はぶっちぎりで優勝したし、何なら2名エントリーできたので女子団体も勝った。文字通り、完全制覇を成し遂げた大会であった。
さて、弊部が成し遂げたこの完全制覇の裏で、当の私が成し遂げた事はと言えば、正直言って何も無かったと言ってよい。確かに、先輩の指示に従ってあたふたとクルマを積車から降ろす手伝いをしたり、アンダーガードを付けたり外したりはしたような気がするが、当日はほとんどが『記録』と呼ばれる仕事で、競技が行われるコースの端っこに立ち、動画を録っていた。その大会における私は、半分以上、『観客』としての役割しか演じる事が無かった。それなのに、何故だか自分のチームが優勝できるという自信があった。明確な根拠は全く無かったが、純粋に勝てると信じ切っていたのである。何故そこまで自信を持てたのか。その理由を求められると、「その場の空気が良かったから」としか答える事ができない。
遡る事1か月前、ジムカーナの関東大会が行われていた。自動車部の部員として初めて参加したこの大会は、惨敗、と評したくなるような大会だった(と、当時、無責任にもほどがある態度ではあるが、私はそう感じていた)。この大会では、ダートの大会に比べて圧倒的に『空気』が悪かった。どこからそれが悪くなったのか分からない。第一走者が走り出したのに、ハザードを焚きながら帰ってきた時からか、私のあずかり知らぬところで部員が怪我をするような事故が起きた時からか。ひょっとすると、テンパっていた私が給油をミスり、同期に叱責された時かもしれない。とにかく、初めての大会の雰囲気は私にとって忘れがたいほど悪いものだったし、実際結果も悪かった。コースを走る私たちのクルマに願いは届かず、今年度作ったばかりであるというそのクルマは、360°ターンをただ虚しく大回りするだけだった。険悪ムードな先輩2人に挟まれた積車で部室まで帰ってきて解放された後、自動車部で4年連続日本一を獲るという密かな目標を抱えて入部した私は、これからこなす道のりの苦難を想像しながら深夜の通学路を歩いていた。
対して、ダート大会である。前大会の憂鬱が嘘のように、すべての空気が軽く感じられた。タイヤを積車から降ろす作業さえ軽やかだったように思う。これが本当に『勝つ空気』というやつだったのか、それともただ私がお気楽なぺーぺーの1年生だったのか。とにかく、この時の空気は非常に良かったように感じられたのである。
実のところ、完全に無根拠であったかと言えばそうでもなく、私たちの部にとって良い流れは事前に形成されていた。それまでの練習会で、私たちの部は車両トラブルがとても多かった。毎週走っては壊し、部室に直帰し、必死で直すというサイクルが定番になりつつあった。とはいえ、壊れたとしてもなんだかんだで直ってしまう。直ったら直ったでまた(素人目には)軽快にクルマが走る。もちろんこれは2年以上の仕事のできる先輩方がいるからこそのサイクルであるが、世間知らずの1年生にとってはほとんどマジックである。大会前日にクルマが壊れた時も、先輩方と少しの同級生が即座に部室に飛んで帰り、当日には直したクルマを持ってきてしまった。私は現地居残り組の1人として女子車のお世話を命ぜられたが、その女子車に起きたトラブルも、先輩があっという間に直してしまった。1年生の私に、その手際は鮮やかに映った。これなら多分、明日も大丈夫。こういった調子で、クルマに関する心配事が減っていた。
と同時に、ここにあまり書くべきでは無いのだろうが、ライバル校の不調も関係していた。前日の練習会を見る限り、私たちの部を必ず打ち倒すであろう他校自動車部は見つからなかった。強敵と予想される大学のうちの一つは、素人でも異常と分かるほど白煙を吹いていたし、もう一つは横転を喫し、戦闘力の劣る車両に乗り換えざるを得なかった。私たちの部の優勝は、疑いないように思えた。
そういったいくつかの要素の積み重ねが、つまり『勝つ空気』だった。少なくとも、私にとってはそう思えたというだけであって、他の部員がどう思っていたかは分からない。ただ、できる仕事が少ないなりに考えて「勝てる」という予感を積極的に口に出すよう心掛けていたし、動画を録っている最中も「うちの選手が1番速い」と思いながら見ていた。1本目の結果が出そろい、午前個人トップタイムで折り返したことで、予感は確信に変わった。それはもう、変わる事が無かった。例え雨が降りそうな気配があっても、例え第三走者が出る直前にトップタイムが更新されたとしても。
あの日、私の隣には他大学のOBテントが陣取っていた。そこの選手が、うちの選手のタイムを更新した時に彼らは言った。「悪いね、勝っちゃって」と。その時、細かい文面は忘れてしまったが、「次で逆転するんで大丈夫です」と何も考えずに返していた。迷いなんてなかったし、私たちのエースはそうしてくれると信じていた。エースについて、自分は寡聞にしてよく分かっていないところがあるが、良いエースというのは多分、部員に対して自分が勝つことを無条件に信じ込ませることができるドライバーのことだ。その時の先輩は、間違いなく私にとって最高のエースだった。だから、実況がトップタイム更新を告げた時も驚きは無く、ただあるべきものがそこにあるような、そんな類の喜びがあった。
これ以降、私がこの手の『勝つ空気』を感じたことは無かった。ダートの全日本戦はあと一歩及ばず、ジムカーナの全日本戦はそもそも大会の全日程に加われていない時点で語る資格を持たない。日本一が決まったフィギュアの大会でもその空気を感じる事はできず、その日本一すら、自分たちというよりかは先輩たちに『獲らせてもらった』称号のように感じられた(実際獲らせてもらったと表現するのが適切であると思われるので、そこまで違和感を感じることでもないかもしれない)。2年生として迎えた今年は、むしろ負ける予感すら覚えた大会もあるほどだ。
ここ最近、私たちの部は勝っていない。負ける予感がした、と先に述べた大会では、私が朝に抱いた予感通り負けてしまった。私は選手ではないどころか、当日は部員として関わってすらいないが、気持ちの面で完全にライバル校に負けていた。これではいけない。私がどうして自動車部なんかにいるのかと言えば、勝ちたいからここにいるのである。日本一が獲りたいから部活動をするのである。部活動に対するスタンスが諸々のご批判を受けそうなのはさておき、私としてはこんなところで気持ち負けしている場合ではない。絶対に日本一を獲るために、まずは年末の大会に勝たねばならない。日本一に直接関係は無いと言えども、部の雰囲気という精神的な面でも、1年生の自信という実利的な意味でも、勝ちたい1戦だ。監督の言葉通り、というとなんだかチープに聞こえるが、やはり『勝つ空気』を作って大会に臨みたい。とするとまずは私が、先の敗戦を引きずっている事が問題になる。それをリセットするために書いたのが、この長ったらしくて将来読んだら後悔しそうなこの文章なのである。
モータースポーツというのは、割に合わないスポーツだ。クルマを走らせるのに金がかかる、環境にも悪い、選手になれる保証もない。そのくせクルマが壊れると過酷な修復作業が始まるし、練習会に行くとなると無駄に時間が溶けてゆく。何時間もかけてコースに行くのに、練習できるのはちょっとだけ。大半は待ち時間か修理時間に消える。国際レースを観戦している時でさえ、その営みに疑問を抱くことがしばしばあるのだ。いわんや、Bライ学生競技をや。何万、何十万、何百万という資金を注ぎ込み、何千、何万という時間をかけて、最終的には0.01秒を削れるか否かの世界で争う。この盛大で、壮大で、かつ無意味な行為。不思議なことに、これが私の愛してやまないスポーツだ。
選手がクルマに乗るためには、たくさんの人手が必要になる。しかし、ひとたび旗が振られてクルマが走り出せば、そこはもう選手の世界だ。周囲は息を呑んで見守る外なく、選手は孤独にクルマと対話を重ねる外ない。思うに、『勝つ空気』とやらはここに関わってくる。選手として『勝つ空気』を感じたことはないので、選手から見たそれは分からない。しかし、逆はある程度分かってきた。『勝つ空気』がある時、選手が最速で帰ってくる事に疑いはない。つまり、選手に対して絶対の信頼をおいている。ならば、やるべきことはそれだけだ。選手は絶対に最速で帰ってくる。私は、それを信じて選手を送り出し、自身の仕事をこなすだけなのである。