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私の父、76歳の人生記。-第3話:零戦と裕福な吉田の伯父-

はじめに

 このnoteを書いているのは、主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
 大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章。
 それを私が読みやすく校正し、名前や地名は仮のものに変えながら、ほぼそのままで掲載していこうと思います。
 父が辿ってきたのは波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。
※”()”は私の補足です。

第3話:零戦と裕福な吉田の伯父。

 あるときオバチャン(川口のオバチャン)に『狐か たぬきが憑いてる』言うて、祈祷師にお払いを頼んでたな。
 今考えるとええカモやってんな。そやけどインテリでしっかり者のオバチャンがなぜ祈祷師ごときにに引っ掛かるのかな?
当時 社会党の◯◯(当時の有力者)と親交を深めとったのぐらいやのに。

 それからおれ(ぼんちゃん)のオトンの一番上の吉田のおじ(伯父)一家が引っ越してきた。九人家族や。長男(吉田のおじ)は東大やから東京で下宿してたんや。男二人に女五人の子供達、おじおばで、都合9人や。
 おれら一家は北の部屋に引越しした。伯父んとこは戦争に負けて引き上げて来て。奈良の屋敷も手放したけど、まだまだ資力があってんな。
 おれが食べた事のないハムやヨーグルトなんかを食してたな。20畳位の洋間があって雄介さんがうまそおに、おれがまだ食うたことのないロースハムをムシャムシャ頬張ってたな。
 暫くして吉田繊維と言う繊維会社を興してたな。   

 天津(中国)でも、おじの兄弟姉妹7人で繊維関係の会社してた。会社の名前は「吉田繊維」や。当地では”クウニャン”言うて中国人の工員が2,3千人程働いてたとか。会社が順調で巨万の富を築いたそや。
 ごっつい儲けたから、日本空軍に零戦一機献納したんや
 主翼に「藤井号」(藤井=ぼんちゃんの苗字)と記されていたその写真があってん。証拠写真やけど、ふっくん(ぼんちゃんの息子=私)の保育所の迎えの時、車の置き引きにおうてなくしてもうた。あ~あ(;_;)
 そやけど写真には『伯父達の献納した零戦』て書いてたから、誰かイトコが原画ネガ持ってると思う。

 しやけどあんまり自慢になれへんわ。冷静になったらやで。
 時流に乗って儲けてクウニャン ピンハネ搾取しただけや。そやけど偉いこっちゃ。今の中国、世界席巻目論んでんねん。あと10年で下手したら人口も減り、移民が押しかけて中国の日本省になってるで。 
 現に中国人、北海道の水資源に成る地所を買い漁ってるやん。おれ絶対そう思う。何時かはチャンコ(中国人)に搾取されてるわ。気い付けんなあかん えらいこっちゃんこ! 

 そうや何故春日町(大阪の高級住宅地)に越してきたかや。
 元は奈良の”ツボサカ”言うとこに住んでた。そこの家は広かった。庭に山あり川ありのアホほど広い家やった。おれも夏にはよう連れて行ってもうた。庭でカブトムシにカミキリ虫やトンボとか蝶々を捕ってたな。
 行く時は蒸気機関車やトンネルに入ると窓から煙が入ってくるねん。それ煙たいさかい『窓早よ閉め 早よ閉め』みんなオガってた(叫んでた)。
 そやけどそんな自然が奏でるええ地所も◯◯教(伏せておきます)に騙し取られたとか。 

 伯父の会社は順調やってんな。当時としては最新型のライトバン買うて、えっちゃんが婿さんもうたり、もっちゃんが春日町の短大に入ったりして。
 もっちゃんはセンスええ薄茶色のカッコエエ制服や。ほてから口紅の色がちゃうねん。だいだい色やねん。ほかの人は赤色やのに、何でやねんっとおもた。これがお洒落や。個性いうのん解らんかった。

 ほんま全てが順風満帆いうやっちゃ

 この時分はイトコとよう遊んだ。二つ上の勇太さんとはよう遊んだ。一つ上のふみちゃんとも遊んだな。夏休みの宿題、絵日記なんかは寄ってたかって手伝うてもうた。もっちゃん、れいこちゃん、かすみちゃん、ふみちゃんが寄って集って、完成や!バンザーイ! おれの出る幕無しや!

(第3話ここまで)

息子から

 今回もまた、全く父から聞いたことのない話だらけでした。我が家の名字が入った零戦があったなんて…!でもそういえば、うっすらと、その写真を自慢げに私に見せていた父の記憶もあるような…。
 吉田の伯父のおかげもあって、いとこに可愛がられながら、自身でも順風満帆だったと語る幼少期ですが、この先どんな出来事が父、ぼんちゃんに待っているんでしょうか。
…時折、痛烈な日本へのメッセージも見受けられますが、ご愛嬌ということで。。
 読んでくださりありがとうございます。

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