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父、76歳の人生記。-第9話:おかんの仕事とご近所さん物語。-
はじめに
このnoteを書いているのは、主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
戦後間もない大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章。
それを私が読みやすく校正し、名前や地名は仮のものに変えながら、ほぼそのままで掲載していこうと思います。
父が辿ってきたのは波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。
※”()”は私の補足です。
第9話:おかんの仕事とご近所さん物語。
おかんの仕事。
その前におとんの家族関係言うとかんなあかん。7人兄弟の末子や。
おかんは7人兄弟の長姉や。夫婦のコンビとしてはゴールデンコンビネイションや!?
そや、看護婦さんの履く看護シューズのセールスウーマンや。土屋町にある丸高靴店で仕入れて、それを橋本市民か府立病院に配達したり、注文を聞いて仕入れる仕事や。小商いしとった。おれも何回か付いていったな。ただのナースシューズやのに。
単価安いしそんなに儲かれへんと思うけど、おかんのことやからシコシコと生業として成立させてたんやな。偉い!
靴の販売してたけど、ちゃんとした仕事も探しとってん。
ある日学校給食の要員の仕事が舞い込んだ。
しかしおれが
「他人と仕事するやなんて貧乏人の家や。うちとこはオトンいてるし恥ずかしいわ」て言うておかんはその仕事を断った。”共稼ぎ”言う概念なんか無かったな。
今からすれば公務員や。土曜日日曜日祭日休みやし、夏休みや冬休みがいっぱいあって、休みには内緒でバイトも出来るねん。給料もええしボーナスもあるねん。それに退職金も。ガポーっと2,3千万。年金350万円位の年金入るねん。
おれの友達のオカンそやもん。その時の俺、そんな計算出来るわけ無かった。ただただ恥ずかしいだけやった。今となったらおかんに悪いことしたなと、唯々謝るばかりや。カンニン。ええとこの家ちゃうのに。
当時、商売人は別として、共働きはあんまりなかったんや。
そやけどおかん、大事な家庭の収入源になるのに小さいおれになんで気い遣こたんかな?おれほんまに かんにん ごめんな!
オカンがよう言うとった、「金剛石も磨かずば 珠の光も添わざらん」
おれへの教訓的教育かな。素材も大事やけど、料理人のウデも大事や。石磨くのん俺か!?そらあかんわ。ONE SELF SCURABING!?
他にもあるで。「なせば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」
三年の時、上池に引越しした。四軒長屋の中のとこ。高田さんが住んでたあとや。市営住宅の払い下げ物件や。2畳の台所と4.5畳と6畳の和室や。
ビックリしたんが水道が引かれてないねん。水道は角の家のところにあって、バケツで汲んで家の瓶にためとくんや。なんや映画で観た江戸時代の長屋みたいや。ちょっとショックやったな。おれバケツでよう水汲んできて瓶にためたな。井戸ちゃうかったからまだマシや。
東の端から、足立さん、沢口さん、おれとこ、西側が近江さんや。
足立さんとこは本屋さん営んでたから、赤胴鈴之助とかの本を注文したな。
沢口さんとこは3人兄弟で上が恭子ちゃんでおれよりいっこ上。下の子が「としぼう」いうて二つ下。その下が英ちゃんいうて4個下や。
中学になったとき恭子ちゃんから教科書を譲ってもうた。所々メモってあって姉ちゃんも勉強してたんやなっとおもた。大きなってとしぼうがあのチックコリア好きやってん。
西隣が近江さんや。お父さんが市役所の水道局に勤めてた。役所勤めしてる割にヤクザみたいな顔してよう細かいことまでぶつくさ文句言うてた。役所のバイクの公用車家まで乗って帰ってたな。当時やから許されてたんやな。
そや、隣の沢口さんとこでようテレビ見せてもろた。画面10インチぐらいの木製フレームのテレビや。ローハイドや。『♬ ローレン ローレン ローハーイ ♫』 助演してたんが、アメリカの市長になったクリント・イーストウッドや。小さい画面やさかいに皆んな釘ずけ状態やった。名犬リンチンチンも、ちびっこギャングも観たな。
オトンとおかんが勤めてるさかい俺は鍵っ子や。おとんが仕事辞めるまで鍵っ子やった。肝心の鍵は一回失いかけたけど、拾てきて無事やった。財布も一回もなくせへんかった。
そやけどこれからおれはボケてきて「鍵、財布落とした」言うて大騒ぎするかもや。近いで。あと2,3年やな。辛いわ(つд⊂)
時々お買い物に行くねん。お手伝いやねん。肉の日は楽しみやったで。駅下言うて、甲斐田町駅の坂の下にあるんやけど、買うのは何時も並肉やねん。あの時は”グラム”ちごて”モンメ”やったな。上肉は買うたことあれへんかった。
すき焼きか串天ぷらにするねん。並肉でも全然旨かったで。豚肉は買うた覚えないな。肉は牛や。何でや知らんけどカシワは殆んど食卓に登場せえへんかったな。ほんま言うたらおかん鶏肉苦手やってん。かわいいわ( ◠‿◠ )☝
あの時分、唐揚げなんか無かったわ。 豚カツ、コロッケが主流やな。唐揚げのブームはだいぶ経ってからや。結婚してからちゃう?
その当時、卵いうたら高かってんで。贈答用品、お見舞いの品や。紙箱に籾殻敷いてんで。今で言うプチプチや。
バナナもそや。あんまり口に出来へんかっってんで。今やスーパーで4房特価の98円や。ホワワーン そんなバナナ
(第9話ここまで)
息子から
時々『(つд⊂)』や『( ◠‿◠ )☝』といった顔文字が飛び出しますが、私ではなく父の原文のままです。『ホワワーン そんなバナナ』と言い、恥ずかしいです。。
しかし給食要員さんが公務員ばりに高給な仕事だったとは…戦後時代の物の価値も今と違っていて興味深いです。
そして個人的に興味深いのが、父のチック・コリア好きは、ご近所さんによる影響だったとは…!
今回も父の過去を、当時の日本の情勢を知ることが出来ました。ここまで読んでくださりありがとうございました。