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私の父、76歳の人生記。-第1話:3歳の記憶-

はじめに

 はじめまして。このnoteの主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
 大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章を、私がコピペしつつ軽く読みやすく校正し、個人情報は伏せながらほぼそのままで掲載していこうと思います。
 波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。ぼんちゃん劇場のはじまりです。

第1話:3歳頃の記憶

 この書はぼくがあかんようになる前に、何とか今昔の事実を遺しておこうと暇にあかせてしたためた奴やねんで。
 小説とちごて誇張や比喩が無いのん物足りんけど、ぼくの記憶のままに綴った奴やんか。追憶言うやっちゃ。

 時代の記憶ちがいや思い違いもあるかも知れんけど全部ホンマのことや。
ほてから地語にしたんは余計な装飾を省くためやねん。そやないとホンマ長なるねん。
 この中には幼い時の甘酸っぱい思い出や、大きなってからの忸怩たる思いがさんざめく綺羅星のように散りばめてると思うねん。
 それではようこそいらっしゃい、ぼんちゃん劇場に!いらはいいらはい!

 自我の目覚は3才頃かな。えらいこと起きてん。
あれは腸炎発症した時の事や。
 水屋に置いてあった弁当箱のバター、腹減ってたんかして全部ペロリと平らげたがな。
さあ大変 下痢幅吐で果ては医院に受診!その結果が腸炎や。その時分特効薬なんか無しや。
そして悲しいかな、死の宣告がなされた

 往診してもうてリンゲルの点滴が始まった恢復するまでが大変やった。
ご飯食べられへんから枕元のお盆におにぎりやパン 置いてもうて

「これは匂い嗅ぐだけやで見るだけやで食べたらあかん!死ぬねんで」

って言われながらほんまによう我慢出来たと思う。

死の告知なされたけど何とか快癒してみんなに「食べんとよう我慢したな」って言われた。
K先生よう頑張ってくれた、命の恩人や。

 死の床に瀕していた時、唯一の慰めが”チンコちゃん”と言う人形やった。
10センチ位やったかな。
手製の顔はそんなに可愛くなかったけど、梁にタコ糸を通して糸にチンコちゃんを滑車で括りつけて寝ながら引っ張ると、チンコちゃんがスーパーマンみたいに動くねん。それ考えたんぼくやねん。

 そう言う訳で命が助かりましてん。
これからこのおれ、ぼんちゃんは、悲喜こもごもの人生をぼちぼちと、そしてある時は駆け足で生きて行く事になりますねん!

(第1話 ここまで)

息子から

 おそらく”水屋”というのは父(ぼんちゃん)の親戚の家のことだったと思います。当時は腸炎が生死を分けるほどの病気だったんだなぁ…なんて思いつつ、”チンコちゃん”という唐突なワードに笑ってしまいました。当たり前のことなのですが、父も子供だったのだなぁ、と感慨深くなりました。
 ちなみにこの先の日記は僕も読んでいません。父がどんな人生をたどっていくのか。何話まで続くのか。先を読み進める怖さもありますが、ここに残していこうと思います。

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