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父、76歳の人生記-第16話:中国で騎馬兵だったオトンは。-

はじめに

 このnoteを書いているのは、主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
 戦後間もない大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章。
 それを私が読みやすく校正し、名前や地名は仮のものに変えながら、ほぼそのままで掲載していこうと思います。
 父が辿ってきたのは波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。
※”()”の中は私の補足です。

第16話:中国で騎馬兵だったオトンは。

 家が手狭になったからオトンが建てまわしすることになった。
 まず西の空き地に倉庫を建てた。次は裏庭に六畳の間を増築した。本格的や。屋根にはスレートを敷いて防水処理のシートも施して、ど素人のオトンが一人でほんま。尊敬に値するわ。
 最後は北の敷地に物置小屋建てた。のこぎり、カンナ、くいきり、ペンチ等など、一通りの道具が揃ってたな。オトンの大工道具買いに行くのんよう付いていったな。土屋町にある店や。店主が高齢でよいよいやねん。そやけど商いになるとしっかりしてんねん。
 
 オトン、大工仕事はどこも見習いに行けへんし設計図も無かったけど完璧や。頭の中で設計しとってんな。空間認識力抜群やねんな、感心や。
 そや思い出した。家には便所は大しかあらへん、そやから小のほう陶器の受け口買うて木枠で流すとこ、上手いこと作ったな。上手いこと考えたわ感心するで。どこの家でもやってへんで。
 オトンの発想には降参や!当時ポットントイレや。

 それから木製の冷蔵庫手放して電気冷蔵庫買うたな。テレビもや。
これから我が家も世間並みの快適な文化生活に入るんや。せや電気洗濯機も買うたな。洗濯機絞るのん、ローラー2本ついててそのあいだに洗濯物いれて、手でローラー回すねん。見事にしぼれるねん。その時はさすが水道引いてたな。トイレも水洗になってたわ。  

 オトンがヒヨコもうてきた(貰ってきた)。
おれが夜店でひよこ釣りして持って帰ってきたんかわからんけど、増築した部屋でひよこを飼ったな。餌もようさん食べてくれたし。
 そやけど大きくなって鶏の一歩手前や。もう手におえんようになって米屋のもっちゃん兄ちゃん(親戚)にもろてもうたな。あとで家でばらして食べたんやて。

 オカンが病院へ勤務して暫くしてから牛乳をよう持って帰ってくれた。退院した患者のぶんが余るからやて。多い日は3本もあったな。それと鯨の竜田揚げや。甘さと辛さのええハーモーニーや。給食の味にしては絶妙や。時にはハムもあったな。旨かったで。
 重たいのによう持って帰ってくれたわ。成長期の俺にチョットでも栄養になると思て持って帰ってくれるねん。親の愛情がいっぱいや。
 今この竜田揚げ再現しようとおもてんねん。しかし鯨高いわ。高いわ言うとられん、今度スーパーで鯨売ってたら買うてこましたろ。
 この時分から牛乳好きになったな。大学でいつも飯の時は2本飲んでたな。 1本15円やもん、これは安い!

 牛乳で思い出した。給食の時はまだ脱脂粉乳やったで。今でこそド牛乳やけどな。
 時々コーヒー味やカルピス味の時があった。カルピス味のほうが美味かったな。コーヒーは子供騙しや。色だけ茶色でザラザラの味や。
 
 おかずでおいしかったんがコロッケや。紙の袋に入ってんねん。その袋食べ終わったら口で吹いて空気入れてバンっと鳴らすねん。

 パンは小さいけどよう焼いたパンの時は美味しかった。パンは時々食器に付いてる水滴に濡れてずるっと溶けてんねん、あれ嫌やったな。時々バターが付いてんねん。そやけどほんまのバターちゃうねん、マーガリンやねん。
 
 生野菜のサラダもどきの副食が出た。その時先生「フランス料理」言うてたけど、あのサラダ風のやつ見かけも味も、もひとつやった。
 俺は『給食でフランス料理出るはずがないやろ』思てた。嫌な生徒やな。フランス人怒るで!

 給食ちゃうけど、マクリ(寄生虫の駆除薬)の時間が年に一回ぐらいであったなあ。
あれは嫌やった、ホンマにまずいねん。鼻つまんで飲んでた奴いてたけど、しゃあないから嫌々飲んだけどな。
 飴ちゃんがおまけについてたな。ホンマ飴とムチや。

 オトンの患者で安井ちゃんがいててな、中度の知的障害と精神障害があってんな。
 オトンがよう可愛がってたんやな。夏にはよう海水浴に連れて行ったな。母親が気遣うて、おれに当時の最新式、ブリキ製で電池で遠隔操作できるロボットや何やかんや、おもちゃをもうたな。
 オトンも世話好きなんやな。安井ちゃんとこは親が安井ストア言うてミニデパート経営してて、ええとこのうちやったんやな。

 海水浴で思い出した。オトン海水浴好きやねん。
高尾の家から海まで歩いて行くねん。海に着いたらかったいそら豆をふた握り程網袋に入れて、それを海パンに結びつけとくねん。泳いで帰る時分に豆がふやけて美味しなってるねん
 そうや、小学校の時はプールが無いんで大館までバスで行ってたな。JRバスの大型トレーラーバスが校庭まで来たなあ。そのバスの運転手が佐藤君のお父さんや。ヒゲ生やしとったな。
 それとヤッサンと海に行った時、海の砂削ってモチ貝取ったな。焼いたら旨いねん。冷やしあめがこれまった旨いねん。

 オトンは中国語がでける。天津からの引き揚げ者やから。
 ”ニイチワンナマ”は”飯食べたか”やて。”ショウハイは子供”、”あほ”は”ホンダン パネソー?”ほか皆んな忘れてもうた。”ウオ アイニー”これはテレビで知った。
 オトンは中国で兵隊してた時、騎馬兵やってた言うてたな。

(第16話ここまで)

息子から

 今回も連想ゲームのように思い出を綴っている父。
 戦後間もないところから、家電など、徐々に近代化が進んできているのもわかりますね。”昭和給食あるある”も、伝わる人には最高なのではないでしょうか。マクリは初めて聞きました。

 ”オトン”というのは”私の父のオトン”つまり私にとってのおじいちゃん。
 私が物心ついた頃には既におじいちゃんは亡くなっており、こうして父の思い出を通しておじいちゃんを感じられることが出来ています。
 優しかったんだろうなぁとか、発明家的なひらめきを持っていたりとか、それは父にも遺伝している気がします。…私には残念ながら遺伝しなかったようですが。笑

 次回も”オトン”を中心にお届けすることになると思います。読んでいただけると幸いです。

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