父、76歳の人生記-第19話:ブチギレぼんちゃん、卒業。-

はじめに

 このnoteを書いているのは、主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
 戦後間もない大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章。
 それを私が読みやすく校正し、名前や地名は仮のものに変えながら、ほぼそのままで掲載していこうと思います。
 父が辿ってきたのは波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。
※”()”の中は私の補足です。

第19話:ブチギレぼんちゃん、卒業。


 小学5年か6年の時、先生と一緒に難波球場へ行ったな。
 全部で7,8人位やったかな。おやつにランチクラッカーとジュースかお茶持っていった。入れもんは巾3,40センチの白いビニールで編んだバッグや。自慢のバックや。
 ラジオの実況中継は聴いてるけど、観戦は初めてや。もちろんホークスファンや。相手は西鉄やったかな。ほんまに臨場感があるねん。ヒット打った時とか三振取った時とか、ワーっと歓声がステレオ聴いてるみたいやねん。
 
 ほてからカージナルスが来た時や。
 うぐいす嬢が 「セントルイスカージナルッシン」とアメリカ語で言うた時、『本場アメリカから来たんやなあ』っと感心したわ。カージナルスにはスタンミュージアル言う選手が光ってたな。
 我が軍は野村、杉浦のバッテリーやったかな。頑張ってたで。

 修学旅行や。
 みんなで行ける楽しい旅の行き先は伊勢や。二見ヶ浦の夫婦岩と岩戸屋旅館の光景しか覚えてへん。
 毎年のことやけど、僕らの旅行は何故かしら行儀がええんやて。新聞に写真入りで載ってた。特に意識したわけちゃうけど結果としてそうなった。先生の指導が良かったのか、おれら羽目外さなんだんか解りません。
 名物生姜板(生姜糖)お土産に買って帰った。新聞記事ひょっとしたらPさんの知り合いの新聞記者が工作したんかな!?(?) 多分そやろ  ヌウ! 

 自転車に乗って友達と公園や学校に遊びに行くんやけど、俺が誘ったから 俺が先頭切って走らんなあかんのに、何故か先頭は避けて二番か三番手走ってたな。
 リーダー役には成りきれんかってんな。皆を引っ張って行く程の剛腕、傲慢さがあってもええねんけど、あかんわ。
 これが人生の証やサンマ(”明石家さんま”のダジャレ)や。
 もっと我意に自己主張、自己顕示欲を露わに見せつけといたら良かったのに。
 あかんわ。裏返せば、遠慮深く、慎ましく、思慮深く、楚々としててんな。
 そんなええもんか?男らしい無い!
女の腐った奴や。ちゃうか、腐った女の奴やったか。 

 独りぼっちの時は靖さんのスクーターに乗せてもうて米屋(親戚の家)へ遊びに行ったな。
 途中土屋町にある”コーリン”言う喫茶店に寄ってコーヒーおごってもうたな。コーヒーの味覚えてもうたな。
 米屋は靖さんの兄貴の、よっちゃん兄ちゃんが経営してる。
配達も俺と一緒やった。一日中車に乗ってっても飽けへんかったなあ。靖さんのトークと俺の波長おうてたんや。
 当時、大村崑と佐々十郎がCMで「ええ車 ミゼット みんなの車 ミゼット」言うて、「やりくりアパート」のコマーシャルやってた。配達の時そのミゼットの助手席に乗せてもうて楽しかった。
『♫ みんながね 見ているよ 小人のミゼット可愛いな ♫』
その時分かな、もうちょっと前かな、インスタントコーヒーが出たんが、 
『♫ ネスカフェ 43粒スプーンにいっぱい粒選りの香りのコーヒー みんなのネスカフェ ♬』 
その次に出たのが
『♬ アラビカ アラビカ グリコのコーヒーアラビカ ♬』や。
 グリコのコーヒーは旨なかった。もひとつや。子供騙しの風味や。そらコーヒー通になってるさかいや!
 グリコのんはカレーもチョコレートもキャラメルもあかん。子供騙しの味や。マシなんポッキー位や。
 ソーセージも出たで。直ぐにあかん様になった。マルハ、日水の方がマシな味や。
 ネスカフェは今でも愛飲してる。ドリップのんより美味い。貧乏性が染みついてる。個人の好みやけど、ブラックはよう飲まん。苦い。そやから砂糖たっぷりとミルクいれんなよう飲まん。

 でんぼや。でんぼ(関西弁で”腫れ物”)がよう出来た。
 大抵膿んできたら自分でグチュット潰したりしたけれど、グチュウっと潰されへん程大きなって痛なったらもうあかん。病院へ行って先生に診てもらうねん。
 あんまり大きなり過ぎた奴はメスでバチュと切ってもらうねん。触っても痛いときは麻酔薬を注射してもうてからメスでバチュッと切るねん。
 黄色浅緑の膿がブチュウ、グチュウと出るねん。左胸はメスだけ、右腹もメスだけ、右ケツは麻酔つこたな。座るんも痛かったさかいにほんま!いや左胸も麻酔つこたわ。
 今でもでんぼの跡、手で触ったらそこだけ膨れてる。

 山中君と親しくなった。
山中君は鼻の下と耳たぶの所にかさぶたを付けてた。アトピーのひどいやつちゃうかとおもてんけど、時々血が滲んでた。
 みんなそれを怖いもんのように思いやがって。けど俺はそんなに気にせなんだ。
 山中君には言われへんけど、P子さんなんか山中君が傍に寄っただけで「キャアー」言うとった。山中君どんなに辛いのか。
 そやけど賢かってんな。俺らにそんな振り全然見せへんかった山中君。よう耐えて頑張って滝沢(名門校)いきよった。
 ほんまにあの時、P子さんの人間性は疑問におもた。セレブで勉強もよう出来たのに。見た目だけで判断するP子さんに、なんぼ深窓のオナゴやいうてもや。
 おれ幼いのに、全部理解把握でけた。ひとの痛みなんかじぇんじぇんわからへんねん。しやかてこんな人、50人居てたら必ず一人か二人居てて当たり前やけどな。
 先生どないしてんねん!ちゃんと教育せなあかんやろ。アーアーや。そりゃ無理っちゅうもんや!先生エエシ(お金持ちの子)の味方や。保身すんのん精一杯やもんな。どの世界でもおんなじシステムや。チャンチャラチャンの ブー。

 山中君とは共通の趣味があった。当時流行りのトランジスターラジオの組み立てや。 
 どうやったらラジオ聞けるか毎日楽しみやった。ハンダゴテ買うたり、プリント基盤やチュウナー、トランジスター何かよう買うた。一人で日本橋も行ったな。
 山中君の家の縁側でかて、何やこちょこちょと工作したなあ。後でわかったんやけど山中君のおとうさん、湊市史や文化に精通しててん。文化評論が時々新聞に載ってたわ。なかなかのインテリゲンチャや。


 卒業式を迎える事になった。
 
学年行事でも一際荘厳な雰囲気を演出せんなあかんねん。式の段取の中で色んな事があるけど、シュプレッヒコールがありますねん。何人かで式辞を読み挙げんなあきません。
 滑舌良く、しかも高らかにスピークすることが要求され、雰囲気を盛り上げんなあきません。その一員として俺が選ばれたんや。
 なんかの間違い思たけど武井先生が「藤井くんの本読みは聴く人に心地よい響きを与えるから藤井くんを選びました」やて。おれビックリしたで。
 ただの授業中の本読みが良かって選ばれるやなんて。もっと勉強の出けるやつを選んだらええのにっと思た。
 けど勉強でけても読むのん下手くそやったら全体のバランス取られへんかったらワヤになるからかな?!
 ええいちょっと恥ずかしいけど出たろか。そこでシュプッレヒコールの面々を見るに、やっぱしアホ居てないアホは俺だけや。アーア。
 てなわけがあったけど式当日ホンマにええ感じやったで。
 
先生おれのコエだけ見る目コエてる!

(第19話ここまで)

息子から

 最後は”声”と”肥え(てる)”がかかって、オチがつきました。
今回は父、ぼんちゃんの感情がいつも以上にむき出しでした。正義感の強さがありつつ、リーダーには向いていない自分もしっかりと理解していたようですね。
 修学旅行の思い出や、輝かしい卒業式の思い出に触れつつ、でんぼの話は妙に(不必要なほど)リアルでしたね。さて、ついに小学校を卒業したぼんちゃん、次回からは中学生編に入っていくと思われます。
 また読んでくださると嬉しいです。


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