私の父、76歳の人生記。-第6話:戦後少年の遊び方と歯医者の伯父-
はじめに
このnoteを書いているのは、主人公”ぼんちゃん”、の息子です。
戦後間もない大阪出身で現在76歳の父が、自身が年老いていくことを理解しながら、自身の人生を振り返りパソコンにしたためてきた文章。
それを私が読みやすく校正し、名前や地名は仮のものに変えながら、ほぼそのままで掲載していこうと思います。
父が辿ってきたのは波乱万丈の人生なのか、平々凡々な人生なのか、私も楽しみです。皆様も楽しんでいただければと思います。
※”()”は私の補足です。
第6話:戦後少年の遊び方と歯医者の伯父
遊びはマメやったな。
歩いて20分~30分位掛かったけど、橋本神社までよう行ったな。太鼓橋渡るのん怖かった。神社には白馬がおった。
正月にはお参りに行って必ず買うのが銀杏の炒った奴や。ほろにごう(ほろ苦く)て美味しくてたまらんかった。
この歳になってまだ引きずってるで。大島君(親友)とよう銀杏拾いしたな。
おれがやりたかったのはローラースケートと、自転車のスポークとタイヤ取った輪っかを棒で駆けっこしながら操るんや。
そやけど見るだけで我慢してた。もうちょっと大きなったらしたろかなと思てた。
あれは確か、多賀から橋本神社まで歩いたら大変やから、電車に乗ったら楽チンなんやけど金がない。
そこで考えたんがよそのオバチャンの後にひっついて行って、オバチャンの子供になったらタダで行ける。やったあ!!
おれはさっそく実行に移した。電車降りるとき、よそのオバチャンに「お母ちゃん お母ちゃん」言うて、袖のすそを引っ張るようにして…ひひひひ成功や。味を占めて何回かやったな。ちびの悪知恵や。
その電車の線路に五寸釘を置いて電車の通過を待つんや。
そしたらぺっちゃんこになって剣になるねん。
それから線路の上に百連発銃の火薬を貼り付けて、電車の通過を待つねん。電車が通過したらパンッパンパパーンと炸裂や!ああおもろ。
そやけど釘置きの遊び、俺のオリジナルちゃうねん。友達と一緒にしててん。パンパーンはおれの発案や。イタズラ大好きや。ええ時代やってんな。
そやけど怪我に関わるようなことはせえへんかった。幼いおれでもちゃんとわかってんねん。制御能力あってんな。
…そんなええもんちゃうわ、単に怖がりで気チッチャイだけや。
散髪屋が橋本神社近くにあって、ある日店から外へ出たとたんオートバイに轢かれてもうた。幸い死ななんだけど、怖いし痛かった。
今やったらひき逃げで警察沙汰になるのに、オートバイのオッサンは『ごめん』も言わんと逃げて行った。イタズラ好きのバチかな?
歯医者もよう行った。伯父が近くで歯医者してたからよう行った。
今とちごて(違って)ベルト式駆動の奴や”ガリガリガリ”いうて、今みたいにターボいうて”キーン”ちゃうかったから痛く無かった。
後から聞いたんやけど、伯父んとこの畳張替えタダやってん。
何でや言うたら、畳の隙間に金銀の粉が入ってんねん。畳屋さんその粉砕した金銀の粉集めて売りよんねん。結構ええ金になってんで。
わかる。この話聞き覚えとって、”長ずるに(成長したら)やったろかいな”いう仕事やってん。本気やった。都市鉱山や。完璧。最たる隙間産業や。ムフフフフー!
伯父が亡くなってから、いとこの啓治さんが後を継いだな。
今は娘とその婿がしてるわ。パソコン(ホームページ)での啓治さんの歯医者のキャッチコピーはほんまに恥ずかしいやら呆れるやらや。
自己紹介なんやけど「私は阪大にトップ入学して卒業は主席でした」ちゅうてんねん。
しやけど技術力と成績は全然別モンやのに!分かってんのかなホンマに!?あほ丸出しやん。困った偏差値偏重主義者や。おかんが言うとった、『啓治さんは卒業の時に菊川賞(?)の金時計もうたんやで』っと。
アーそうや。啓治さんの妹が日本航空のスッチ-(スチュワーデス=CA)してた。
後にスッチー養成学校の校長しとってん。名刺もうたけど、何処へ。 名前忘れてもうた。
(第6話ここまで)
息子から
戦後生まれの父らしい遊び方…ちょっとアウトローな遊びもしていたようですが、大事故になっていないので時効とさせていただければと思います。
自身は阪大首席で歯医者、妹はCA養成学校の校長を務めていた啓治さん、私は会ったことがなく、今ご存命なのかも定かではありません。お会いしてみたかったものです。
次回では引っ越しをし、生活環境が変わるようです。
まだまだ知らないことだらけの父のお話、読者の皆様と一緒に私も追っていきたいと思います。