
立浪ドラゴンズとはなんだったのか
はじめに
立浪和義と私の出会いは、7、8歳の頃に遡る。
青森で生まれ「巨人・大鵬・卵焼き」が口癖であった根っからの巨人ファンである父・久毅が、当時唯一テレビ中継で悔しそうにする相手が中日ドラゴンズだった。
「闘将」「燃える男」「鉄拳制裁パワハラ暴力男」「わしが育てた」こと星野仙一率いる中日ドラゴンズは、1999年にリーグ優勝。巨人戦ばかりのテレビ中継で、青いユニフォームで泥臭く戦うドラゴンズが少年時代の私にとって本当にかっこよく見えた。
最初に覚えた選手は、4番のゴメス、背番号1の福留孝介、そして背番号3の立浪和義だった。
小学校4年生になり地元の少年野球チーム「つくし」に入った私は、右投げ左打ちだったことと、初めてもらった背番号が3番であったため、立浪に強く憧れるようになっていた。
バットは立浪と同じSSK製のものを使用していたし、学校では中日のキャップを被って登校し、立浪の下敷きを使っていた。
そんな憧れの存在であった立浪も、2009年に引退。22年のプロ生活をすべて中日ドラゴンズに捧げる、まさにミスタードラゴンズの名に相応しい存在だと思う。いや、そう思っていたのだ。3年前までは…。

天才型×昭和脳は終わり
立浪和義が監督就任したのは、2021年シーズンの終了後。前年5位に終わった与田剛監督に代わる形で、満を辞しての就任であった。引退した直後から、ドラゴンズファンはみな立浪が監督就任する日を待ち望んでいたし、当時も非常に大きな期待で溢れかえっていたことを覚えている。
何より解説業でのわかりやすく的確な野球解説、自身の経験に基づく確かな守備・打撃理論など、信頼できる要素がふんだんに垣間見えていた。
だが、実態は違った。

改めて彼の経歴を辿ると、名門・PL学園で主将を務め甲子園春夏連覇、南海と競合の末、ドラフト1位で中日へ入団。1年目からショートでベストナイン獲得という華々しいデビューを飾ると、その後も長年レギュラーとしてチームを牽引し続け、プロ22年間で通算安打数は歴代8位の2480本。173cmという野球選手としては決して恵まれた身体ではないものの、プロ野球歴代記録である通算487の二塁打を打てる長打力も持ち合わせる選手だった。
そう、彼は“天才”なのである。天才は凡人の考え方が理解できない。なぜできないんだ、こうやればいいだけだろ、解説としてはたから見ていた分にはそれが正論であっても、こと監督になった途端、できない選手の気持ちが理解できないただのおっさんであることが露呈した。
天才だけならまだ良かった。彼はさらにPL学園という圧倒的縦社会の閉鎖空間で育った上下関係絶対の典型的昭和脳の持ち主である。
天才型×昭和脳で同じように監督として成績を残せなかった人がいる。古田敦也である。彼もまた天才肌であり、見た目によらず武闘派であったため、できない選手の気持ちが理解できず、チームを崩壊させてしまった。
ここからは、中日ドラゴンズがこの3年間で最下位争いの常連チームとなってしまった原因が立浪和義であった論拠を詳しく述べていきたい。

自身の経験に頼りすぎる傾向
立浪監督の大きな特徴の1つとして「自身が現役時代に経験したことを物事の判断軸とし、それを過信しすぎている」点が挙げられると思う。
最も顕著な例が、ベテラン選手の代打起用である。
現役時代の晩年、落合監督時代に犯した守備での怠慢行為により、翌日からレギュラーを外されその後一度もスタメンを取り戻すことなく代打で生涯を終えることとなった立浪は、のちに「代打を経験することで控え選手の気持ちがわかるようになった、とても良い経験だった」的な発言をしている。
裏を返せばこれまでの野球人生で一度も控えを経験しなかったということだが、ある年に開幕から代打で起用され続けながら無安打の試合が続いたという。それでも落合監督が起用し続けた結果、1本ヒットを打ち、そこから復調したという経験が立浪の中では大きいそうで、これとまったく同じことを2022年の福留孝介、そして2024年の中島宏之で行っている。
結果は、福留が24打数1安打(打率.042)、中島が13打数0安打(打率.000)である。いくら実績のある選手といえど明らかに打てる状態ではない選手を「自分がそうだったから」という理由だけで起用し続けるのは、監督として無能としか言いようがない。
試合終盤の大事な局面で代打起用を失敗し続けたことで勝ちを落とした試合はこの3年間で数えきれないほど見てきた。これは自身の経験を過信しすぎるあまり、チームの勝利とは相反する方向に走り続けてしまった立浪和義の大きな失態の一つであると言える。
#板山祐太郎納得いってない表情になる
— 宇宙一髙橋宏斗を推してる関西竜党 (@chunichi_19) July 2, 2024
板山祐太郎に代打中島宏之がコールされた時のベンチでの板山祐太郎の表情
板山「僕打席立つんじゃないんですか!?中島さん代打ですか!?」
板山こんな顔になってるぞ
板山の立場やったら絶対同じ顔になる#中日ドラゴンズ#dragons#板山祐太郎 pic.twitter.com/FqrXpYQFDh
▲当時絶好調であった板山に代えて代打・中島を出したこのシーンは、板山のリアクション含め今年の立浪ドラゴンズを象徴するシーンの一つである。
また、自身が全盛期にショートやセカンドを守っていたことから、二遊間に対する異常なまでの執着心があり、当時レギュラーであった京田を「戦う顔をしていないから」という理由で懲罰交代→2軍へ強制送還ののち、翌年トレードで放出したのはあまりにも有名な話。
次期正遊撃手候補として龍空を起用するも、ドラフトでは22、23年と続けて同じような二遊間の選手を乱獲。特に即戦力投手の大豊作年であった23年のドラフトではウェーバー順で実質13番目の選手を指名できる立場でありながら、守備型ショートの津田を選択したのは今でも新鮮に怒りが湧く。そのツケが今年の先発不足に直結していると言えるだろう。
(補足)仮に立浪が監督をやっていなかったら京田や阿部は移籍せず、根尾は入団時の想定通り打者として育成されており、22、23年の二遊間乱獲ドラフトは回避されていた可能性が高い。ドラゴンズのお家芸でもある投手中心のチーム作りを推し進めたドラフト戦略を行なっていれば、現在の先発崩壊のようなチーム事情は免れていたかもしれない。立浪監督就任によってバタフライエフェクトのように少しずつ風向きが変わっていってしまったことが、現在のドラゴンズの順位に繋がっていることが伺える。
とにかく一貫性がない
ここ数年の中日ドラゴンズ低調の原因は長距離砲の不在とそれに伴う得点力不足であることは小学生のドラゴンズファンでもわかりきっている自明の事実である。
そこで立浪は就任当初「打つ方はなんとかします」という今やネットミームとなった言葉を高らかに宣言し、1軍打撃コーチに中村紀洋氏を招聘。長距離打者の育成に力を入れ始めた。
ところが、シーズン途中の5月に突如中村コーチを2軍に配置転換。理由は「広い本拠地のドームで有利に戦えるよう、単打と走塁に主眼を置いた若手育成プログラムを作り、それを基に指導するよう通達があった」からだとされている。広いバンテリンドームでの戦い方として、そういった戦略を推し進めることは一理あるが、その後足を使って掻き回すような戦い方はシーズンを通して一向に見られず、22年オフには4番候補としてアキーノを1.7億円で獲得、23年オフには巨人から中田翔を2年6億円で獲得と、結局長距離打者に頼る戦い方に戻そうとするも、いずれも失敗に終わっている。
また、根尾の度重なるポジション転換やキャンプで一度も練習をしていない高橋周平のショート起用、1番ビシエドなど、思いつきで始める施策がことごとくハマらない。鬼才に憧れているのか知らないが、とことんセンスがないのである。
打順やポジションも固定することなく、毎日日替わりでコロコロと選手を変える一貫性のなさ。
人生ゲームで例えるならば、ひたすらルーレットだけを回し大きい数字が出たらラッキーな戦い方をしているだけである。株は買うべきか、保険に入るタイミングはいつなのか、安全な職業に付くかあるいはリスクある職業に進むべきか、そういった駆け引きや戦略がまるでない。出たとこ勝負の試合を144回繰り返して1年が終わっていく。目指す野球像がまったく見えて来ない。ドラゴンズファンが立浪にストレスを抱える根源はここにあると思う。

立浪は何を目指していたのか
オフシーズンの立浪の代名詞とも言える大型トレードに関しては、概ねポジティブに捉えている。低調なチームを変えるには抜本的な改革が必要であると思う。
監督就任時に星野監督の良いところと落合監督の良いところを併せ持った監督になりたい的な発言をしていた記憶があるが、血の入れ替えは星野監督譲りのものであると言える。
さて、立浪はこの発言の通り、両者のいいとこ取りをした監督になれたのだろうか?結論、どちらにもなりきれず、この人は一体何をしたかったんだろう、というのがこの3年間での印象である。
立浪と同時期に監督就任し話題となった日本ハムの新庄監督は、「優勝なんか一切、目指しません」と1年目はチームの底上げ期間であることを断言し、中長期的なスパンで強いチーム作りを目指す野球像を掲げ、結果3年目の今年、現状ソフトバンクに次ぐ2位という成績を残すに至っている。(9/14時点)
解説者として外側からドラゴンズを長年見てきた立浪にとっては、自分が監督をするからには1年目から優勝を狙えるチームにしていくという自信があったのかもしれない。
しかし、現実はそう簡単に行くはずもなく、早々に壁にぶち当たってしまってから自分がどういうプランでこのチームを強くしていきたいのか、見当もつかなくなってしまったのではないだろうか。
監督を支える存在であるべき参謀役が、無能の親友・片岡ヘッドであったことも自身が招いた不幸であったと言わざるを得ない。

今後の去就について
今年、立浪は3年契約の最終年。おそらく、というか十中八九退任するであろう。
夏場から明らかにやる気がなくなり、試合後のインタビューも他人事みたいに話すことが多くなった。逆にこれで来季も続投だというならば、かなり驚く。
球団としては立浪を続投させたいのだろう。球団はなぜか集客の多い理由を立浪が監督だからと思っている節があるようだが、バンテリンドームにファンが集まってるのはシンプルに若い選手が活躍しているからだと思う。
現役ドラフトで獲得した細川がリーグを代表する強打者に成長し、髙橋宏斗は今や球界屈指のエースになった。他にも岡林や石川、福永、村松、清水や松山など枚挙にいとまがないほど若手選手の成長が著しい。
レギュラー選手の高齢化が進み、若手に出場機会が与えられていなかった立浪就任以前のドラゴンズに比べれば、今のドラゴンズは見ていてワクワクするような選手が増えているのは事実である。
立浪のキャリアとして、ここで退任したらもう二度と監督業に戻ってくることはないと思われる。
元々ネタにされがちなキャラクターではあったし、他球団ファンが立浪を揶揄したり発言がミーム化していく様子に関してそこまで思うことはなかった。ただ、心のどこかで少し寂しい気持ちを抱いていたと思う。今もその気持ちがないわけではない。ただ、もう擁護できない。
私の憧れた立浪和義はもうここにはいない。一刻も早く退任をしてほしい。なんなら5位で終わるより、3年連続最下位という不名誉すぎる球団記録を達成し、ぐうの音も出ないくらいの解任理由を残し去っていってほしい。
そして、監督を辞めて解説者に戻り、幼いころ私の憧れだった“ミスタードラゴンズ”立浪和義に戻ってくれることを心から願う。

出典・参考