多摩川とlet it be

※個人的見解のみで書いています。たぬ吉の、素人なりの主観的評価である当記事を真に受け動揺してしまうと気の毒ですので、あらかじめお断りしますm(_ _)m。また今回は口調もデスマスしません。


『多摩といえば』シリーズ最終回、多摩川である。この河川さえ説明してしまえば、それ以上多摩について語る必要もあるまい。

何しろ、われわれ東京都下チームは古代より多摩地区の民と括られてきたのだが、どこから何処までが多摩なのかイマイチわかっていない。

たとえば八王子は多摩なのか??→まあ多摩だろう、多摩丘陵あるし。多摩と呼ばないと失礼どころか多摩=八王子とすら思える(適当)。

では川崎市多摩区って多摩なのか?→まあ多摩なんだろうな。多摩区って言い張ってるし(適当)

むしろ私の住処のある武蔵野市って多摩なのかしら??あんまり多摩ってつくものがない、、。玉川上水ってあるけど、アレも多摩の付属品って事でいいのか?車が多摩ナンバーになるからOK?。。。行政が決めた地名ごとの多摩クイズだけで数時間が過ぎていきそうで、しかも子細で面白くない。多摩という曖昧な語句はもう二度と使いたくない。使うとしたらそれはたぬ吉が疲れている時だと思ってくれていい。2文字でア行で、入力の手間が少ない、多摩は疲れにやさしい。

という訳で能書きが長くなってしまった、改めて、多摩といえばシリーズ最終回 〜多摩川〜 

まず私の本籍地は多摩川の最上流、そう、奥多摩である。青梅より奥の東京都のことは奥多摩と呼ぶのがセオリーである。青梅を境にしてその先は、マリオワールドのウラ面的な世界観で、各集落が謎に満ちていながらも印象が希薄。。人が少ないうえ猿と犬ばかり、というか人と犬と猿しか陸上生物はいないんじゃなかろうか。キジと鬼さえ用意できれば桃太郎ごっこが捗るであろう。鬼が島はCGで何とでもなる。

私の奥多摩の記憶は極微量、ハチドリの涙レベルと言っていい。何しろ生まれも育ちも国分寺なのである…。奥多摩とは主に葬式や法事の時に連れていかれる場所であった。例の川と色々な山が近くて、親戚の家々で頂いた味噌汁がうまかった、といった断片イメージだけである。奥多摩での多摩川の川幅は10-20mくらい。流れは速い。滅多に行かないから、違う地の記憶かも知れない笑

両親は共働きで、小学生になるまで国分寺の保育園で育ったのだが、保育園のほかに母方の祖父母にも大変お世話になっていた。祖父母は『梨以外なにも無し』こと稲城市に住んでいた。土曜日も労働が当たり前だった当時、私と妹は祖父母の家に土曜日などよく預けられた。

車で国分寺から祖父母のいる稲城へ向かうと、避けては通れないのが多摩川である。川幅はゆうに100mはあったであろう。流れは速い。

是政橋が何となく好きになれなかった私は、府中街道や是政橋が混んでいることを常に願っていた。車の迂回路となる上流側の関戸橋ルートは大好きだったからだ。車の中で親から「せきどばし」の単語を聞くとはしゃいだ。風景の特別感や車での小旅行感は、幼い私には贅沢な時間の一つとなったのだ。ちなみに橋としての是政橋と関戸橋の実力(橋力)はドッコイだと思う。

時は流れて社会人となり、京浜となぜか瀬戸内の工業地域を担当する技術営業をした。営業も工業も好きでは無かったし、まして技術なんてゼロかマイナスみたいな人間だったが、辞めるに辞められず。氷河期世代にとっては新卒正社員を3年続けるのがマナーみたいな時代だったから、それなりに頑張っていた。

営業車で首都高1号線を攻めたり、飛行機や新幹線の窓側に座ったりすれば、多摩川の下流があった。ただ、川の流れの速さなんて見なかった。

歳を重ねるごとに多摩川のほかにも沢山の川を見ることになるのだが、多摩川ほど落ち着ける大河川も少ないのではなかろうか。流域人口が多い筈なのに、良くも悪くも護岸のコンクリートは僅かで、川幅は天気によらず安定している(ような気がする)。

ぼけーっとするのも、ラジコンに夢中になるのも、多摩川が見守りつつ放っといてくれた(ような気がする)。

確実にlet it beが似合う川。なんなら河川敷で常に流れていたんじゃないか??多摩川とlet it be、JINROと二日酔い、ゲレンデと広瀬香美、チーズバーガーとコーラ、ヤンキーとドンキ、全て一蓮托生モデルの典型である。

今この家でlet it beを流すより、多摩川の河川敷で流した方が落ち着くに決まっている。

多摩全体のボーダレスでナァナァな雰囲気や器量の大きさは、きっと多摩川が育んだものに違いない。多摩といえば多摩川なのである。


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