中野区「天神湯」、昭和の銭湯の「ビフォーアフター」
【東京都中野区 / JRまたは東西線中野駅徒歩7分】天神湯 リニューアルオープン
〒164-0001 中野区中野5-10-10
03-3387-2657
再び暖簾をくぐる日がついに来ました。
2023年12月8日15時、ついに中野区の銭湯「天神湯」が復活しました。
唐破風の屋根はそのままに、できるだけ昭和のたたずまいを残しながら、生まれ変わった「天神湯」。前日はご亭主の粋な取り計らいで、事前のお披露目が行われました。
早速、現場に駆けつけてみると、なんということでしょう…!
頭の中ではテレビ朝日系列の人気番組「劇的ビフォーアフター」で流れるサントラの名曲(チャ~ンチャ~ラ~ララ~♪)がグルグルします。
振り返れば、夏の猛暑にもかかわらず、“匠たち”はこの現場に張り付き、汗だくの作業をしていました。
ときどき、私は扉の中を覗き込みながら、どれだけ「昭和度が残されるのか」と、半分不安な気持ちでその様子をうかがっていました。
新たに復活した「天神湯」は、男湯は富士山のペンキ絵、女湯は足摺岬のペンキ絵をそのままに、そして私が気に入っていた「カニの排水口」もそのままに、見事に息を吹き返してくれました。
その「天神湯」の見どころは新旧含めてたくさんあります。その1つがペンキ絵です。
「天神湯」のペンキ絵は、銭湯絵師・丸山清人先生によるものです。1935年にお生まれの丸山先生は今年88歳のご高齢、「天神湯」の作品は2018年と今から5年前のものとなります。
「天神湯」のご亭主も「最も脂がのった作品のひとつではないでしょうか」とコメントするこのペンキ絵は、何種類もの青が使われ、一見の価値があります。
ペンキ絵といえば、昭和のその昔は「無料でペンキ絵を描く代わりに、絵の下に広告スペースを作り、銭湯絵師たちはそこの広告代を収入にしていた」と漫画家・西岸良平氏は作品中で伝えています(この形式を残しているのが練馬区の江古田湯です)。
「天神湯」のご亭主によると「当時は映画の看板も絵師たちが描いていたものです」といいます。
確かに、「男はつらいよ」第37作で長渕剛さんが演じたのもこうした看板職人でした。令和の世は、映画や興行、そして銭湯の数が激減する時代ですが、昭和にはこうした絵師たちが、伸び伸びと絵筆を振るう空間があったことがうかがえます。
2つ目は「ボンボン時計」です。
私が訪れた営業再開日の前日、この柱に掛けられたボンボン時計はちょうど14時を鳴らしました。
「実は改修前まではずっと止まったままでした」と女将さん。それが改修の後に再び元の位置に掛けたところ、再び新たなときを刻み始めたという“奇跡の時計”です。
そして3つ目は坪庭とドレッサー。男湯には、鯉が泳ぐ坪庭脇に椅子が設けられ、火照った体をクールダウンできる空間が設けられました。
女湯はドレッサーが新しくなり、風呂上りの時間をゆったりと過ごせる空間ができました。
私的には昭和レトロな「お釜ドライヤー」。これを見捨てなかったご亭主には感謝しかありません。
ドライヤーはお釜の中で竜巻が起こるようにして髪の毛を乾かしてくれます。わずか20円の“昭和体験”をお試しください。
大好きだった「昭和のマッサージ機」の姿はありませんでしたが、ご自宅に運び込まれて女将さんの肩をモミモミしていると聞いて、ホッと胸をなでおろしました。
さて、この「昭和の銭湯空間」の大改修。その最大の注目点は「この銭湯がマンションにならなかった」ということです。
ある程度まとまった敷地は不動産業者さんの垂涎の的、恐らく「ここを壊してマンションにしたら…」というお誘いもあったかと拝察します。
それを振り切って、選んだ道は「昭和の銭湯の維持存続」。その再投資の決断は並大抵ではありません。
東京都の銭湯の数は令和4年で462軒。今から15年前の平成20年には879軒だったといいますから、半減にも近い現象が起こっています。
東京の銭湯激減の運命は止められない――そんな中で唐破風の屋根を頂く宮づくりの銭湯がリニューアルオープン、これぞまさに奇跡の復活です。
訊けばそこには、三人娘の団結があったといいます。女将さん曰く、「三人娘が、お父さん、残そうよ。私たちが頑張るからと切り出してくれたんです」。
いまどき、事業承継こそ難しく、どんな老舗も暖簾を手放さなければならないご時世なだけに、なんともジーンと来る話です。
「天神湯」の番台にはその長女さんが座られています。
三本の矢は折れない――強い団結で結ばれた「天神湯」の新たな道、その門出を心から祝福します。
(おしまい)