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昭和の銭湯空間
銭湯は、私の中の“昭和メモリー”の筆頭です。
銭湯の中でも、最も「昭和の銭湯」らしいのが「宮づくりの銭湯」です。遠くから見ると、神社やお寺のようなたたずまいで、三角形の破風屋根を載せているのが特徴です。
その宮づくりの銭湯の中でも「富士山のペンキ絵」があり、「鯉が泳ぐ坪庭」があればそこはもう100点満点の「昭和の銭湯空間」です。中野区の天神湯さんも、「あの頃の昭和」に戻れるかけがえのない空間の一つです。
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そんな「100点満点の昭和の銭湯」が身近にあったことは、私にとっての「小確幸(しょうかっこう、村上春樹氏の小さいけれど確かな幸せという意味の造語)」です。週末にここでひと風呂浴びるのが、私の夏の過ごし方でした。
(筆者注:以下の銭湯内の画像は店主さんの許可を得て、営業開始前に撮らせていただきました)
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ここで過去形を使うと「もしかして、もしかするのか」と心がザワザワする方もいらっしゃるかもしれません。その心のザワつきは半分、当たりです。
この銭湯も2023年7月17日から改修工事期間に突入し、しばらくお休みになってしまいました。
それでも11月には営業を再開すると言うことで、ホッとするわけですが、私の中での問題は「改修後の銭湯はどれだけの昭和度を維持しているのか」にあります。
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長期改修休暇に入る前日、番台に座るご主人に「やっぱりこの昭和感はなくなってしまうのでしょうか」と訊ねました。すると、「そんなことはありませんよ。外観はほぼそのままだしね」ということでした。
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ご主人との会話からは、なるべく「昭和のたたずまい」を残そうという気持ちが伝わってきますが、やはり番台回りなどは手が加えられるそうです。
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もっとも大改修のきっかけは配管にあったともいいます。配管工事は、昭和の建築物の、避けては通れない大きな課題です。
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実はカランを押してお湯を出すと、そこに黒いモノが一緒になって出てくることはだいぶ以前から気づいていました。なんとなく、気になっていたのですが、恐らく配管から出たサビのようなものだということは察しがついていました。
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そして黒いモノに対して「これはなに!?」と目くじらを立てれば、結果として「メンテ不能により廃業」といった札を下げさせてしまうのではないか、と案じ、「サビごときで死にはしない」と私はこれを黙認し続けてきました。
昭和の建物やサービスに、100点満点を求めることはできません。
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それでもやはり大改修のその日は到来し、目下、炎天下の作業が続いています。
ちなみに私が愛した「按摩機」について進退を問うと、「うーん、あれは置いておいてもお金が入らないから」ということでした。恐らくユーザーは私だけだったのかもしれません。
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今やスーパー銭湯などでは豪華マッサージ機が幅を利かせていますが、私はやっぱり昭和派です。あのシンプルな動きに、こちらが体を合わせてやることで深いツボに到達するのだと信じて疑いません。
あの「按摩機」(そしてあの「釜付きドライヤー」)こそ、「宮づくり」「富士山のペンキ絵」「坪庭」に加えられる昭和のシンボルです。
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どうかこの「昭和の按摩機」に、再び活躍の場所を与え続けてほしい、と願うばかりです。
【番外編】
東京の銭湯は、残念なことにどんどん数を減らしていて、都内では462件になりました。令和元年の520件から58件も減っています(令和4年、東京都調べ)。
私が住んでいる東京・中野区でもこのコロナ禍で1軒の銭湯(千代の湯さん)が消えてしまいました。
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燃料費高騰や諸物価高騰のあおりは入浴料にも反映し、近年はよりいっそう経営環境が厳しくなっていることがうかがえます。
ちなみに、前出の銭湯のご主人との対話では「銭湯の求められ方は時代とともに変化しています」とのことでした。今は「居場所としてのニーズ」だそうです。
そこらへんの価値の創造がうまくいけば、この公衆浴場文化は次世代に継承されるのかもしれません。実際、中野の隣り町の高円寺には小杉湯さんの奮闘事例が存在します。減り続ける銭湯もなんとか突破口をつかめたら…、そんな思いで見守っています。