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コスパやタイパも良いけれど、人パを大切にしたい
目標づくりAdvent Calendar24日目の記事です。
個人的な目標を考えてもらうことを行っています
目標づくりについて私が最近行っていることの1つに、個人的な目標を考えてもらうワークがあります。
これが本題ではないので、簡単に紹介させて頂きますと、「自走して欲しい」とか「自分の意志で能動的に学んで欲しい」といった組織の期待があるとして、例えば「好きなことを何でもやって良いですよ」と言われても意外と困る人がいることを目撃しています。会社の中でやるからには制約を想定してしまう、とか、色んな理由はあるとは思いますが、そもそも「自分は何がしたいのか、どうありたいのか」ということを真面目に考えている人がそんなに多くはない印象で、それを考える練習をしているようなイメージです。ちなみに、こういう話をすると重たい印象を持たれがちなのですが「毎日美味しくビールが飲みたい」とか「定時で帰りたい」とかそういうことで大丈夫という気楽な感じでやっています。
仕事も人生の一部
仕事の時間って人生において大きな割合を占めるので、苦しいだけ・辛いだけ、で終わってしまうのは惜しいなと常々思っています。もちろん、何かに挑戦しているときに苦しい時間が必要なこともあるとは思いますが、仕事でやっていることが自分の幸せを実現する手段の1つであるような気持ちで働いてもらえたら良いなと勝手ながら思っています。
有名な「3人のレンガ職人」の話で言うのなら、「レンガを積んでいる」と答えた職人も、レンガを積むことが大好きで楽しくて仕方ないならそれで良いんじゃないかなと思うのですが、嫌々レンガを積んでいるだけなら別の仕事とかやった方が良いのでは、と思ってしまうのです。あくまでも組織視点とかではなく、個人的な勝手な想いの部分です。
コスパやタイパの先に何を求めるのか
先日、コスパやタイパを求め過ぎると失われるものがあるのでは(だいぶ雑な要約です)という話をしたのが印象深かったのですが、例えば、生成AIでサクッと答えに辿り着いたとして、答えに辿り着くまでの過程における試行錯誤が失われてしまうのはもったいないのではないか、というような話です。
老害警報発令中の身としてしては、発言に最大限の注意が必要ですが、個人的には「映画を1.5倍速で観る」みたいなものには抵抗があるなぁという気持ちでした。その理由は、通常の速度で観るよりも、間や情緒のようなものを感じる時間が短くなってしまうので、その体験が失われてしまうのではないか、と思ったからです。でも、好きなバラエティ番組を1.25倍で観ることは許せるので、我ながらいい加減な判断だなぁとも思うわけです。
それから色々と考えて思ったのは、注目するべきは「パ」だな、ということです。コストやタイムを小さくするのは分かりやすいですが、パフォーマンスを大きくするのは捉え方によって変わってきそうだなと思いました。
例えば、答えを出すことだけを成果と考えれば、生成AIを使って答えが出ればタイパの良い行動となりますが、答えを出す過程で悩んだが故に得られた答えが分かったときの喜びも成果と考えるなら、生成AIを使った場合の方がパフォーマンスは小さいと言えます。並んでから食べた方がラーメンは美味しいという話もありますね。
人はなぜ夜中にラーメンを食べてしまうのか
さらに、そのようなことを考えて思い出したのが、『誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか』という本の話です。
シロクマの表紙がかわいいこの本ですが、意志決定についての本で、通常の意思決定の理論は「いかに合理的な判断をするか」ということに焦点が当てられてがちなのですが、ドラッグなど自分に害がある行動を、合理的とは思っていないのに何故してしまうのか、という内容を説明してくれる本です。ドラッグというと極端ですが、「駄目と思いながらも夜中にラーメンを食べてしまう」というのも話としては同じかなと思います。
詳しくは本を読んでいただくのがもちろん良いのですが、以前に、この辺りの内容をざっくりと説明したことがありますので、もし興味が湧きましたらこちらもご覧になってみてください。
前置きがかなり長くなってしまって恐縮ですが、「夜中にラーメンを食べる」というのも人生における「パ」の1つだと思うのです。もちろん毎日食べて健康を害してしまっては良くないのですが、粛々と我慢するだけの人生もつまらないです。コスパやタイパを重視した行動を合理的な意思決定とした場合、多くの場合では取るべき選択になりますが、そうではない選択が人生に面白みを与えてくれたり、個性に繋がるような経験になることも多いのではないかと思うのです。
人生のパフォーマンスを大きくする
そう考えていくと、本当にコスパやタイパの良い選択というのは、人生というタイムボックスの中で、どれだけ大きなパフォーマンスを出せるか、ということなのかなとも思います。シンプルな理屈としては、例えば、生成AIを使ってサクッと終わらせることで得られた可処分時間を使って、失われた何かよりも大きな成果を出すことが行えているのならば良いと判断できます。
じゃあ人生のパフォーマンスって何かというと、それは自分の人生なので自分で決めるものですが、お金持ちになりたい、名声を得たい、毎日海で釣りがしたい、犬に囲まれて暮らしたい、言語化できない幸せがある、とか、様々だと思います。色々あると思いますし、他人からとやかく言われることでもないですね。結局は自己満足の世界なのかもしれないです。
最初の話に戻りますが、個人的な目標を考えてもらった後には、それと仕事の内容を多少強引にでも紐づけることもしてもらっています。これも練習の1つみたいなイメージなのですが、せっかく何かをやるなら少しでも人パを稼げた方が得だと思うんですよね。
ただ、それと同時に実際には難しい部分があるなとも思っていて、仮になんとなく人生どうありたいかをイメージできたとしても、自分の行動がそれに繋がっているか判断出来るのかと言われると難しい気もしています。ふりかえってみても、自分が全然想像していなかった幸せな経験みたいなものもありますし。
たのしいは作れる
最近、会社内で「たのしくやろう」というテーマについて、「たのしくやる」ってどういうことなのか、ということを真剣に話し合ったのですが(その時間が楽しかったのですが)、
その中で、CMのキャッチコピーを真似して「たのしいは作れる」という言葉が出てきました。仕事で大変な部分もあるけど、自分たちの力でたのしめるように出来るところはあるし、そういう感覚が一緒に働く人たちにも広がっていくと嬉しいね、みたいな文脈で話していました。
何が言いたいかというと、人パを高めようとしたときに、自分がやっていることが人パを高めているのか判断しようとすると難しいなと思うのですが、人パをざっくり人生の幸せとして、たのしいは作れるように幸せも作れるとするならば、作ることに上手になっていくという考え方も出来るなと思うのです。仮に失敗したなと思っても、そこから学んで上手になっていけば良いですね。
だから、仮に、生成AIを使ってサクッと答えを得ていた人が、後にそれよりも試行錯誤の経験を積んでおくべきだったと思ったとしても、生成AIでサクッと答えを得た経験があったからこそ試行錯誤の経験の重要性に気付いたのかもしれないですし、その場合は生成AIでサクッと答えを得ていたことも無駄ではなかった気がします。(念の為ですが、みんな試行錯誤の経験を積むべき、とかそういう話ではないです)
私は「人間万事塞翁が馬」という言葉が好きで、良いと思ったことも悪いことに繋がったり、悪いと思ったことが良いことに繋がったり、人生どうなるか分からないものです。それだったら考えても無駄というようにも捉えられますが、単なる自分の解釈ですが、どうなるか分からないからこそ、目の前の結果に右往左往せずに、やるべきことをやりたいなと思える言葉です。
それでいて、「今日たのしかったね」と言えることを大切にしたいなと思っています。