いじめ問題の1個の到着点
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https://stand.fm/episodes/60f265f72c4b2c00066cf993
いじめ問題。
全国の学校で夏休みがまた始まりつつある頃、例のいじめの問題は起きた。
某ミュージシャンが過去に障害者いじめを行なっていた事実を雑誌上で暴露、その内容が悪質であったとしてSNS上で賛否を問う声が噴き上がった。
当該ミュージシャンは五輪関係者であることから、障害者スポーツの祭典に関わるものとしての資質を問われてのことだったが、この騒ぎを受けて謝罪を発表した翌日の2021年7月17日19時半現在、論争は収まってはいない。
私は、単にこれ自体への賛否をここで示すつもりはない。
それについては私が示すまでもなく、
SNS上で既に様々な意見が出ている。
各自の中で答えが出て、社会としてこの問題に対する声が洗練されていくプロセスがこの先にあるはずだ。
私の気がかりは
むしろ既に大勢いる「現時点で立ち直れていない元いじめ被害者」、
そして今まさにそうした状況にある人たちの現在と未来だ。
私はいじめの加害も被害も経験した者として、小学生時代に加害した人間への謝罪の気持ちを持ち続けている。被害者への謝罪は簡単ではない。
しかし、被害体験もしてきたことから、いじめについての考えを自分なりに熟成させてきたつもりだ。
それをこれから提示したい。
結論から先に述べると、
いじめは「起きる前提で捉えなくちゃダメ」で「被害者が守られ、その人のペースで社会に参加していけることを大事にして欲しい
と思っている。
その理由をこれから書いていく。
被害者側の選択肢が少ない
経験上、いじめた後の加害者には選択肢がある。
ざっくり言うと償うつもりで生きる、開き直る、そして忘れるだ。
そしてこれも経験上だが、残酷にもいじめた事実は放っておくと恐ろしい速さで忘れていく。
それは、自分を「まともな人間だ」と思いたい本能、悪くいえば思い上がり、があるからだ。
開き直る理由も同じだろう。
一方、いじめられた人間はというと、
大きく分けて、立ち直れたか、立ち直れなかったか、でしかない。
いずれにせよ、本人の自由に選べることではない。
許そうとすれば、体のどこかが違和感を訴えてくる。
それが今の私の、状態だ。
自力で「立ち直れた」なら、とても素晴らしいことだし、今ここで何も言うことはない。
が、そうではない人間が世の中にはたくさんいる。
(そもそもいじめの標的になることを避けること自体、とてもとても難しい、時には残酷なことだったりする。)
立ち直れなかった、の度合いにも色々あるが、
・自宅から出られない
・働く、ボランティアに参加するなどの社会参加ができない
・攻撃的な人にエンカウントすると身がすくんでしまう
・人が手を差し伸べてくれようとしてるのに手が伸ばせない
・ちょっと陰口を聞いただけで、かつてのトラウマが蘇って居場所がなくなっていく感じがする
・交際や結婚のような信頼の積み重ねが困難
etc.
あげればキリがない。
病名がつく場合もある。
いじめの原因
いじめの原因は、本人にとってどうしようもないことだったりする。
障害、ストレスによる心身症、身体的特徴、あるいは万能すぎる等…。
もしくは明確な理由などなく始まることも多く、いずれにせよ被害者側には対処のしようがほぼない。
私がいじめを受けた原因は、過敏性腸症候群だった。
これは、腸に異常がないのに便秘や下痢、おならが過剰に出てしまうという体の特徴の一種で、じっとしていなくてはならない集団生活にはとりわけ相性が悪い。
これによって散々悪口を叩かれた。
私は高校時代、症状が出そうになるたびにトイレに行く、と言うことを繰り返すハメになり、次第に不登校になった。
自分にはどうしようもないことを毎日責められ続ければ、心身に長引く傷が残るのも無理はない。
このようにして、被害者側のいじめを乗り越えるハードルは、日に日に上がっていく。それを感じながらもなんとか生き残ってきたのが、被害者だったりする。
だからこそ思うのだ、加害経験もあるから余計に思うのだ。
せめて被害者側が立ち直るチャンスと選択肢ができるだけそこいら中にあって欲しい。