推しの存在と、生きること
大好きだった芸人さんやいつか読まなきゃと思っていた作家さんのTwitterを見てもう見ないと決めたりだとか、好きなアーティストのインスタライブ見てもうお近づきに決してならないと強く意志するなどがザラに、いやザラにある。
センスや才能の輝かせ方が上手さと人間性を少しでもよく見せられるかどうか、使う部分がかなり違いそうである。
感情の濁流を常に「推し」に傾けて操れるほど器用じゃない。「生きるための推し活」を世論が全肯定するとき、自分の「推す」感情の危うさ、鬼畜さを、何か揺るぎないものと定義されてしまったような、ぎくしゃくとした居心地の悪さを感じてしまう。
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